JICA海外協力隊の世界日記

大きいブラジルの小さい街から通信

絶対忘れない。

 「まりこせんせいが、ブラジルにのこってほしいです。でも、ほんとうにかえってしまうなら、じ分のことをおぼえてほしいです。こいしくなります。今まででいちばんいいせんせいでした。」

 私が授業でとりあげる例文でいつも「私はカピバラが好きです」と言っていたので、カピバラのぬいぐるみと一緒に彼女はこの手紙をくれました。

 2024年4月、担当の先生が怪我をして突然の退職宣言をされました。それを受けて、私はこの学生のいたクラスの一部を引き継ぎました。これまでと全く違う授業のやり方で学生たちは戸惑ったことと思います。それでも、ついてきてくれたあなたたちのことを私は絶対忘れません。

 全ての活動が順調にいったわけではありません。それでも、私にブラジルに残ってほしいという学生がいることは私の人生の大きな宝物です。

 

 日本語クラスの学生たちは、修了式で「パプリカ」を踊りました。とっても上手でした。「腕あげて」「右左」と毎回練習した成果です。「365日の紙飛行機」を歌いました。日本語で大きい声をだす機会がほしかったんです。当日は会場の後ろまでしっかり聞こえていました。歌詞カードを本番も見ていいように用意したのですが、その必要はありませんでした。

 幼稚園は担当の先生の希望で「どんぐりころころ」と「おもちゃのチャチャチャ」を踊りました。ただ踊るだけじゃなあと思い、一部楽器を使いました。8月から練習を重ねた成果が修了式で出ました。幼稚園の教室に貼ってあるように「継続は力なり」です。彼らが身をもって示してくれました。

 日系人高齢者クラスでは俳句や習字に一緒に取組みました。日本に旅行する参加者には今の日本を見つけられるように「日本旅行ビンゴ」を用意しました。彼らのようなメンバーにこれからのツパン日本語学校を手伝ってもらえたらうれしいです。

 私が短期クラスとして立ち上げたクラスでは、最後まで一人の日系女性が勉強をつづけました。日々の生活で彼女は全く日本語を使っていませんでした。それでも、彼女は時々小さい頃を思い出しては、今勉強している日本語を昔の自分とつなげていたようです。

 私と関わってくれた人たちのことを私は絶対忘れません。

 2024年11月30日にツパン文化体育協会の紅白歌合戦がありました。

 去年に引き続き、紅組メンバーとして参加しました。でも、今年は大きな応援がありました。私の歌に合わせて、学生が踊りを踊ってくれたのです。その踊りをトレーニングしたのは、日系人高齢者クラスのメンバーでした。

 こんな素晴らしい経験はなかなかできるものではありません。やっぱりブラジルに来てよかった。ツパンが任地でよかった。私は一生、彼らのこともツパンのことも忘れません。

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