2023/01/06 Fri
歴史 民族
マラウイってどんな国?Part. 3
こんにちは!今回は、マラウイの民族と由来について軽くご紹介できればと思います。
マラウイの民族と言語
マラウイには40程度の民族集団があるといわれていますが、その基準はあいまいだそうです。下図一つ目は民族の割合を、二つ目は話されている現地語の割合を表しています(*1, *2)。
大方、同じ名前の部族と言語が対応しています。現地語の中では、やはりマラウイの国語となっているチェワ語が最もよく話されています。
また、チェワ族は中部、トゥンブカ族は北部、ヤオ・ロンウェ族は南部に多く分布し、大まかに言うとマラウイ中・南部ではチェワ語が、北部ではトゥンブカ語が主に話されています。
例えばヤオ族など、異なる名の部族であっても、チェワ語を話せる人が多く、北部出身の同僚はトゥンブカ語とチェワ語を両方話せるそうです。北部では学校でチェワ語を習うそうなので、北部の人はそれでチェワ語も堪能なのかもしれません。
チェワ語:
Muli bwanji?(ムリバンジ? How are you?)
Ndili bwino, kaya inu?(ディリビーノ、カヤイヌ? I’m fine, and you?)
トゥンブカ語:
Muli uli?(ムリウリ? How are you?)
Nili makola, kwali imwe?(ニリマコラ、クワリイムウェ? I’m fine, and you?)
↑ 初めて会う人に使われる挨拶です。なんとなく似ていますが、異なりますね。しかし、「ごめんなさい」は「Pepani(ペパニ)」で同じなんです!面白いですね。
マラウイの由来
同一系統の民族集団であるといわれる、チェワ・ニャンジャ・マンガンジャ族などの民族が、現在のコンゴ付近から現在のマラウイ南部、モザンビーク中部、ザンビア東部にあたる地域に移動したのちに建国したそうです。その国の名を「Malavi(マラヴィ)王国」といい、西暦1500~1700年頃にかけて、存在したとされています(*3)。
「マラウイ」という国名はこの「マラヴィ」に由来しています。「マラウイ」はチェワ語で「光」または「炎」を意味しています。
マラウイは過去に、マラウイ湖沿岸部でポルトガル人やアラブ人の奴隷売買の拠点となり、奴隷貿易が終わった後も、1964年まではイギリスの植民地でした(*3)。マラウイの国旗の色は上から黒、赤、緑となっており、それぞれ「アフリカ人」、「自由のために流れた血」、「自然」を表しています。上部中央には「夜明けの太陽」が表記されています。
マラウイの民族と言語、そして由来をお話ししました。
またの機会に、奴隷貿易や植民地、独立後のマラウイについてお話ししたいと思います。
私はマラウイの国旗の配色が好きで、マーケットで布を買い、仕立て屋さんでパーカーを作ってもらいました!肌寒いときに着ています。お気に入りなので洗いたくなくなってしまいました…。
そんな私、現在体調を崩し、このパーカーを着て記事を執筆しておりました。マラウイの「炎」であったまって治したいと思います!
それではこの辺で!Tionana!
<参考資料>
*1(2018 Malawi Population and Housing Census Main Report)
*2(the Bradt Travel Guide, Malawi, edition 6, 2013)
*3(マラウィを知るための45章【第2版】、2010)
SHARE