JICA海外協力隊の世界日記

朝5時から拡声器で象と人生について話を聞く日々

ミャンマーの少年院についての解説~チャウンダー編~

マンダレー少年訓練学校(日本で言う少年院)ではなにをしているの??という質問を本当によく受けるので、大まかに説明していきます。彼らは日中主に、職業訓練、ボランティアの講義(JICA以外のボランティアの方も不定期で来られています)及び生活のための手伝い(調理、掃除、手伝い、そして鍵の管理と検査! など様々)そして、普通の子どもに混じって外の学校に通っている子どもまでおります。しかし、彼らの多くはほとんど何もしていません。なぜなら350人もいるので何かに携わるチャンスが少なすぎるのです。

ちなみに、手伝いをしている子どもをアピンダー、学校に通っている子どもをチャウンダーと呼んでおります。
まず、一番僕が最初に多く接したチャウンダーについて説明していきます。

始めにミャンマーの教育制度について。学校には日本よりも1年早く5歳から通い、高校まで通うと16歳と日本よりも1年早く卒業します。

1~5年生を小学校(ムラーダンチャウン)

6~9年生を中学校(アレーダンチャウン)

10~11年生を高校(アテーダンチャウン)

と分けます。小学校までが義務教育。小・中・高校は無償教育となります。なぜわざわざこのことを解説したのかというと理由があります。なんと、マンダレー少年訓練学校から通える範囲では6~11年生までの学校しかないのです。そのため、通えるのはその学年の子どもだけが対象になり、それより下の子どもたちはこの学校では通うことができないのです。(かつては小学校が近くにあって通えたらしい)

どのような基準でかれらが選ばれるかと言うと、学校に通っていた経歴がしっかりしている者(多くは6年生までに退学をしている)、かつマンダレーから近い地域の民族の子どもたち(ミャンマーは大きく分けると8つの民族に分けられ、マンダレーから近い民族であるバマー(ビルマ)・シャン・カチンの3民族の子どもだけ認められている)であること、そして犯罪の重さとはあまり関係がないらしいです。

ちなみに教科は様々ですが、主にバマー(ミャンマー語)、イングレイサー(英語)、ティンジャー(数学)、テイッパン(理科)、ダトゥベダ(化学)、シュパベダ(物理)、パタウィンウィン(地理)、タマーイ(歴史)などを主に勉強しています。

日本では、もし自分の子どもが少年院の子どもと教育を受けなければならないとしたら、その学校に通う人が少なくなると思います。誰だって、犯罪をしてきた子どもとはかかわりたくないでしょうが、ここは日本とミャンマーの違いかと思います。

そして、僕は彼らの送り迎えをするのが仕事になっています。

それが、朝、昼①(昼食のため一度訓練学校に帰る)、昼②(再び外の学校に戻る)、夕方と4回送り迎えをしています。

片道10分なので、往復20分。それが1日4回なので、単純計算で1日80分はマンダレーの厳しい日差しを浴びながら徒歩で通っていることになります。

だから、けっこうしんどい。

さすがに「体調、やばいな・・・((+_+))」っていうときは休ませてもらいましたが。

けど、おかげさまで、彼らを相手に学校の様子やミャンマー語の練習にもなり、彼らも日本人というか、僕の取り扱い方を理解し始めた一番最初の子どもたちであります。

そして、同僚とも1対1で話をする機会(基本的には僕一人にはさせないようにしてくれています)にもなり、先生方の助けにもなっていると思われるので、これは早い段階で自分の仕事にしてよかったと思います。

せっかくだから、エピソードをちらほらと。

エピソード①  権力

よくからかわれるのですが、僕のことを「ヨウソウッテー(不細工)」だとかからかってくるのですが、当然、私も大人なのでまともに相手にはしません。指をボキボキ鳴らして子どもをとっ捕まえて、羽交い絞めにして「ナウタッカーピョーメー(もう一度、言ってみな)ベードゥガヨウッソウレー(誰が不細工だって?)?」と聞いて脅す程度です。そうすると、自分たちだと答えてきます笑

エピソード② 合唱

僕のミャンマー語がいまいちすぎるので、話に飽きて途中から歌を歌いだす子どももいるのですが、僕も聞いてて全然わからないから仕方なく日本の歌を歌い返すと、彼らも面白がってさらにいろいろな歌を歌ってきます。一度シャンの子(中国国境に近いので中国語が話せる)とミャンマー、中国、日本の3か国語で歌を歌っていたこともありました。

エピソード③ 摘発

たばこを拾ったり、買おうとしたりする子どもがいるので、目を光らせております。一度怪しい動きをしている子どもがいたので、問い詰めるとなんと15本もたばこを隠し持っていました。逆に最近だと裏をかかれてしまい、怪しい素振りをする子と実際に運搬をしている子とグループになっていた~なんてこともありました。

なんにせよ、日本で法務教官としての経験がこんな風に生きております。

まぁ、この学校やミャンマーの文化を知る入り口になった仕事の一つであると思います。

また、次回以降少しずつ学校のことや日常を紹介していきます。

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