JICA海外協力隊の世界日記

笠戸丸の風

第19話 ピラルクーの養殖

第5話でピラルクーの養殖の話をしましたが、その後、記事を読んだ方から連絡があり以下の記事を見つけました。

2017年12月11日のサンパウロ新聞です。

リンクのみだと、時間が経つと消失してしまうので、記事全文をコピペしておきます。

記事によると、どうやらJICAも関係していたようですね。

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ピラルクーを「奇跡の魚」と形容するのは鴻池(こうのいけ)龍朗さん(65、東京)。アマゾン流域でしか生存できないと言われ、ワシントン条約・2種にも登録されている古代魚は、1億年の間、ほとんど姿が変わっていない「生きた化石」として知られる。サンパウロ(聖)州政府機関との共同研究によって、聖州での養殖が実現。プロジェクト開始から約20年が経過した今、アチバイア、アラサツーバ、イビウナの3カ所で1200匹を超えるピラルクーを養殖している。また、聖州のレストランなどへの販売も始まり、一般化に向けた動きを活発化させている。「未だに寿命も分からない。それくらい未知の魚だから面白い」と、水産家としての好奇心、野心が鴻池さんを突き動かしている。

◆「奇跡の魚」との出会い

 鴻池さんは、東海大学海洋学部水産学科増殖課程を卒業した後、1979年に大阪の商社「通商」を通じて渡伯。スッポンの養殖・研究のためだった。渡伯してから数年が経過した頃、同商社が撤退することになり、やむを得ず退職し、養殖コンサルタントに転身。商社時代の後輩と二人で養殖指導を行っていた。

 1998年のある日、マナウスの日本語学校で働いていた同後輩から、「(知人の)家の庭にある小さな池で、ピラルクーが1・5メートルを超える大きさに成長していた」と伝え聞いた鴻池さんは、「あり得ない。プロが何を言ってるんだ」と疑問を抱いた。しかし、どうしても気になって水槽で実験してみたところ、本当に大きくなったという。

 「これは奇跡の魚だ、養殖の世界を変える」と直感した鴻池さんは、聖州立農務局・水産研究所に共同研究の話を持ち込んだ。ピラルクーの養殖はIBAMA(国立再生可能天然資源・環境院)の方針で、アマゾン流域以外では禁止されていたため、聖州でも養殖できることを証明しなければいけなかった。

 「最初は相手にされなかったが、自分も最初は相手にしなかったから」と、ある種、当然の反応を得た鴻池さんは自身の水槽を見せて許可を求めたところ、聖州での共同実験が実現。本格的な養殖は、世界でも初めての試みで、鴻池さんらの研究グループは2000年に「循環式高密度養殖」という養殖方法を発表するに至った。

 02年の大統領選によってルーラ政権へと移ったブラジルは水産省を創設。IBAMAと水産省が利権を巡って対立し、共同実験は事実上ストップしてしまう。「運が悪かった」と、鴻池さんにとっても寝耳に水だった。

 その後、数回にわたって養殖場所を移るなど失敗も経験した後、07年にJICAを通じた研究員として鹿児島大学へ。「これが駄目だったら辞めようと思っていた」と当時を振り返る鴻池さんだが、日本の雑誌に投稿された鴻池さんの記事を読んだ茨城県の会社から「ブラジルで土地を買い、(鴻池さんを)責任者として雇い、会社の事業としてピラルクー養殖をしたい」という運命的なオファーを受ける。ブラジルに戻った鴻池さんは、ひとまず借りた土地で養殖を展開することを提案し、事業としての養殖に漕ぎ着けた。しかし、直後に同会社の経営が傾き、支払いが滞ってしまう。鴻池さんは「ピラルクーが育ってきた紙一重の時期だった」と、苦労の連続だった「奇跡の魚」の養殖を振り返る。(戸)(つづく)

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それではまた

 ~笠戸丸の風を受けて

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