2019/07/01 Mon
日本の歴史・文化
第18話 浮世絵の見方(後編)
本話で浮世絵シリーズの最後になります。
もういい加減に浮世絵は飽きた、と言う声も聞こえてきそうなので、今回で一区切りとします。
今回取り上げるのは、歌川広重作、江戸名所百景の両国花火(りょうごくはなび)です。
関東圏内の人は、東京メトロの錦糸町駅のホームに描いてあるので、見たことがある人も多いと思います。
ではさっそく、構図から見ていきましょう。
上部右側には、打ち上げ花火の大輪が、まさに開いた瞬間が描かれています。
そして中央には、開いた花火の残り火でしょうか、(それとも次に打ち上げた尺玉の軌道?)詳細はわかりませんが、昇って落ちていく軌道がわかります。
これまで2回の浮世絵の見方を、ちゃ~んと読んでいる方は、この軌道の距離感と残り火が落ちていく速さは、バッチリと感じていますよね?(笑)
同時に、大輪が開いている「速さ(又は時間)」も感じることができているはずです(やや決めつけ的 笑)。
要するに、この浮世絵の上部には、距離と速さの両者が同時に描かれています。
一方、下部に目を移すと、墨田川の橋の上に見物人が蟻のように描かれています。
本当に人なのかどうかもわからない程、小さく書いています。
そして橋の下に流れる墨田川には、川面狭しというくらいの屋形船。
こちらの時間は、ゆったり・ユラユラとという感じでしょうか。
さて問題です(またかよ‼)。
この絵は、どういう場所(位置)から描いている(見ている)でしょうか?
ヒントは、空に上がる花火と、下方全体に広がっている墨田川が見えているということです。
今回は、解答を先に。
正解は、空が広く見渡せて、さらに墨田川や橋全体が見渡せる、ひらけた小高い場所から見ているということ~(チコちゃん風に 笑)。
しかし、ひらけた小高い場所から見ているということではなく、重要なのは、我々(あるいは作者)が見ている立ち位置、どういう所から見ているか、ということに注目してほしいのです。
この絵の場合は、上方に打ちあがっている花火、下には墨田川に掛かっている橋と川に浮かぶ屋形船、この両者が「同時に視界に入る場所から描いている (見ている)」ので、したがって、立ち位置としては、少し小高い場所ということになります。
わかりやすいように浮世絵を変えましょう。
第6話の浅草金龍山では、平行線は交わるという話をしました。
立ち位置が変わることで、どのように見え方が変わるのか、線路の交わり方を例に説明しましょう。
電車の線路は、高い位置から見るよりも、低い位置から見た方が、近くで平行線が交わっているように見えます。
【写真2を参照】
それに対して、高い位置から線路を見た場合、遠くで交わっているように見えます。
【写真3を参照】
金龍山の絵は、平行線(参拝客)が近くで交わっているように見えます。
それは、立ち位置がやや低いからです。
我々(あるいは作者)が、提灯の手前の低い位置から、参拝者を見ているからと言えるでしょう。
なので、浮世絵を見る場合、どういう所から見ているのかを感じることは重要になります。
そして、話しは両国花火に戻ります。
この絵の立ち位置が、高い位置であるということは、橋や川が広がって見えているということからもガッテンしていただけると思います。
これが、もし少し低い位置からだったら、橋や川面・屋形船の見えるアングル・描き方が違っていると思いますよ。
浮世絵の総括
これまで3回にわけて浮世絵の見方をお話しました。
浮世絵を見る時に感じてほしいことは「距離・速さ(時間)、立ち位置」の3つの要素です。
特に、今回の両国花火は、この3要素がはっきりと描かれた作品であると言えるでしょう。
話は変わりますが、ゴッホやモネ等のフランス印象派の画家たちは、浮世絵を見て、この3要素に驚愕したのではないかと、個人的には思っています(もちろん色彩等の他の要因もあるでしょうけど)。
特にゴッホは浮世絵を3枚も模写しており、このうち2枚は名所江戸百景の絵(亀戸梅屋敷・大はし あたけの夕立)です。
亀戸梅屋敷は、距離感が明確にわかる作品ですし、大はし あたけの夕立は、雨の速さと立ち位置が感じられる作品です。
この2枚も是非見てください。
そして、上記の3要素を頭の片隅に置いて、浮世絵を見て楽しんでください。
おススメは江戸名所百景や東海道五十三次です。
博物館で実物を見られたら、なおよろしいかと。
それではまた
~笠戸丸の風を受けて~
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