JICA海外協力隊の世界日記

今日も Jamm Lekk !

# 10 「Amadou DIOP KAH」

こんにちは。篠宮です。

僕は今、セネガルの首都ダカールで、障害児・者支援の隊員として活動をしています。

今日はタイトルでもある「Amadou DIOP KAH」。
セネガルでの僕の名前について、ご紹介したいと思います。

◯名前「Amadou」: アマドゥ

◯苗字「DIOP」: ジョップ、ディオップ    「KAH」 : カ

おそらく、セネガル隊員で苗字が2つある隊員は僕だけかなと思います。

その理由と、名前をいただく過程についてご紹介していきます。

セネガルでは、公用語であるフランス語の他に、現地語として、ウォロフ語プラール語セレール語…などなど多くの言語があります。

セネガルに派遣される前の派遣前訓練(駒ヶ根訓練所)では、フランス語をみっちりと教わりました。

セネガルに赴任してから、任地に赴任されるまでの間、各種オリエンテーションや表敬訪問等を行います。
そして、現地語学訓練があります。

この訓練の中で、各任地で主に話されている現地語を学びます。
そして、その訓練の中で、ホームステイの機会もあります。
・語学学校で名前と苗字をもらう。
・そのホームステイ先の家族から名前と苗字をもらう。
・任地に配属されてから大家さんなどに苗字をもらう。
・各任地で主に話されている言語(各任地で多く住む民族)に縁のある、名前や苗字をもらう。…などなど。
それぞれの隊員によって、事情は異なりますが、こんな感じでセネガルネームをもらって、それぞれ活動しています。

あとは、単純に日本人の名前は発音しづらかったり、聞き覚えがないのでなかなか覚えづらいのもあります。
僕たち日本人が、外国人の名前を発音できなかったり、覚えづらかったりするのと同じですね。

僕もセネガルに到着してから、各種オリエンテーションや表敬訪問等を修了し、現地語学訓練ウォロフ語で受けました。
僕は、語学学校で名前(Amadou)苗字(DIOP)を候補の中から自分で選択しました。
そして、ホームステイでお世話になった家族の苗字(KAH)を頂きました。

先輩たちから「語学学校で、名前をもらうよ。」と言われていたので、「どんな名前になるのかな?」とドキドキしながら、授業を受けて、名前をもらう瞬間がいつ来るのかを待っていました。
そして、その瞬間は突然来ました。
昼食を食べながら、先生が黒板にササっと名前と苗字を書いていきます。
(最初は、「なんか文字を書いているなぁ」くらいしか思わず、名前と苗字だと分かりませんでした。)

そして一言、「この中から名前と苗字を選んで」と。
なんかもっと、名前や苗字の説明とかがあるものだと思っていたので、「え!?」って感じで佇んでいたら、「早く早く」と急かされて、上の方にあって、比較的自分の中で覚えやすいかなと思った「Amadou」「DIOP」にしました。笑

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今後の隊員生活で使用する自分の名前を考えた時に、本音を言えばもっと悩む時間が欲しかったですが、分からないものに悩んでも仕方ないですし、今では配属先の同僚や子どもたち、近所の人たちに「Amadou」「Amadou DIOP KAH」「Amadou DIOP」「Amadou KAH」「DIOP KAH」「Amadou Hayato」「Hayato」など、色んな呼び方で呼ばれますが、どれも気に入っています。

あとは苗字が2つあることで、初めて会ったセネガル人と挨拶したり、自己紹介した時に「苗字が2つあるんだ。」とか言うと、大体笑ってくれるのでありがたいなと思っています。

最後に、現地語学訓練での出来事を紹介します。

この現地語学訓練では、語学の勉強ももちろんですが、イスラム教のこと、タクシーなどの乗り方、身の安全の守り方、買い物の仕方、布を買いに行き、仕立て屋さんに注文する、講師の方々の知り合いのお家にお邪魔して、会話をする、自分の職種に関連するアクティビティに参加するなどのプログラムも組み込まれています。

僕の職種は「障害児・者支援」です。
僕のウォロフ語の授業をメインに行ってくれた先生は、ある日の授業中に、「しーっ」とジェスチャーしながら小声で「私の娘には障害がある。ダウン症だ。」と教えてくれました。
その日は、「障害って何?」みたいな話や「日本でどんな活動をしていたのか」「配属先でどんな活動をしたいのか」を、まずはフランス語で話してみて、それをウォロフ語で先生と翻訳して、説明してみるという授業でした。

話は変わって、語学学校が休みの日曜日。
その先生に「日曜日の10時に〇〇に来なさい。障害を持っている子たちのアクティビティがあるわよ。」と誘ってもらい、そこに行きました。
僕がセネガルに来て、初めて会った知的や発達に障害のある子たちでした。
とあるグランドの片隅で、十数人の子たちが集まって、講師の方と一緒に身体を動かす運動や、ルールのあるゲームをやりました。
子どもたち同士で、お互いに言葉を交わす子や、言葉はなくてもお互いにコミュニケーションを取り合う姿。保護者同士で、団欒しながら会話をする姿。
セネガルに来たばかりで、分からないことも多く、毎日が怒涛のように過ぎていく中で、なんというか風貌は当たり前にアフリカ人なのに、これまで自分が関わってきた子どもたちの姿がここにもあることを感じて、なんだか、とても懐かしい想いと心がホッとしたのを今でも覚えています。

それから、またある日の授業で、「今日は外に出かけて、会話の練習よ。」と言われて、先生と一緒に外出しました。
お邪魔した先は、日曜日に会った男の子のお家でした。
お宅にお邪魔すると、彼とお母さん、お父さんも迎えてくれました。
そして、先生と練習した自己紹介や日本でやってきたこと、これからやってみたいことを話しました。

お母さんからは、「あなたのことは日曜日に見ていたから、知っているわ。」と言ってもらい、彼のことも話してくれました。
それから、語学学校があり、彼が住んでいる都市(ティエス)には、知的や発達に障害のある子たちが通う学校(センター)がないことを教わりました。
つまり、彼が家の外に出て、友だちや家族以外の誰かと接して、活動をするのは日曜日の数時間だけだと。

僕が知っている限りでは、セネガルには、知的や発達に障害のある子が通う公立の学校(センター)は、ダカールにある僕の配属先とサンルイにある僕の配属先と同じ母体が運営している学校(センター)の2つだけだと聞いています。

正直、フランス語もウォロフ語もおぼつかない中だったので、彼や彼のご両親の色んな話を聞くことしかできなかったです。
お話を聴きながら、決意の言葉や約束の言葉を言いかけては、飲み込んで「僕にできることはなんだろう?」と考えました。

語学学校での最終日、「あなた(先生)が今後やりたいことは?」って聞いたら、先生は少し悩んだ後に「Amadouと一緒に障害のある子たちが通う学校を作ること」って答えてくれました。

いつの日か、飲み込んだ言葉を自信を持って言えるように、先生が言ってくれた夢の一助になれるように、現地語学訓練で学んだこと、もらった言葉を胸に、これからも配属先で僕にできることを続けていきたいと思います。

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長くなりましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

それではまたお会いしましょう。

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