2025/05/05 Mon
人 文化 最終回 活動
# 33 最後に「感謝だけ」を


こんにちは。篠宮です。
僕は、セネガルの首都ダカールで障害児・者支援の隊員として活動していましたが、
2年の任期を終えた今、日本にいます。
日本から書く、初めての「世界日記」であり、今回で最後の「世界日記」になります。
正直、まだまだまだまだまだ…書きたいこと、「世界日記」を通して、感謝を伝えたい人やこと、伝えたい想いが山積みな気もしますが、ここで区切りをつけたいと思います。
これまで、読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。
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冒頭にも使用している、この写真の木は「BAOBAB:バオバブ」です。
この「世界日記」の初回「# 0 初めまして」【こちら→ https://world-diary.jica.go.jp/shinomiyahayato/cat3108/post.php】でも使用しているので、最後も使用したいと思います。
それでは、最後の「世界日記」を綴っていきたいと思います。
Assa laa maa lekum : アッサ ラー マー レークン
Maa lekum salaam:マー レークン サラーム
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アラビア語での挨拶。スペルが合っているかは不明です。音も僕の主観で聞こえる音で書いています。
意味も含めて詳細はこちら↓ https://alarabiyah.sakura.ne.jp/words/greetings/salam/ 【アラビア語の挨拶・決まり文句】を参照してみてください。
Nan nga dëf ?:ナン [ン]ガ デフ?
Man ngi fii [rekk]:マン [ン]ギ フィー [レック]
Jamm lekk :ジャム レック
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ウォロフ語での挨拶。こちらもスペルは正しくありません。音も僕の主観で聞こえる音で書いています。
意味も含めて詳細は、いろんなサイトがあるので調べてみてください。
セネガルでの2年の隊員生活で、僕は何度、これらの挨拶を言っただろうか?
他にも、「インシャーラー」や「マーシャーラー」「ビスミッラー」「アルハンドゥリラ」、「マッサ」「ナンクナンク」「バハナ」「ネハナ」「デーデー」「アムルハリス」「スールナ」…他にもいっぱいあるこれらの言葉を、僕は何度言っただろうか?
※どれがアラビア語で、どれがウォロフ語なのか、そして、それぞれの意味が何かは、秘密です!笑
興味のある方は、ぜひ調べてみたり、セネガルに行って、セネガル人に聞いてみてください。
また、挨拶と同時に、握手やグータッチもセネガルではします。
セネガルでの2年間、毎日のようにこれらの挨拶や言葉を繰り返すと同時に、握手やグータッチも毎日のようにしたと思います。
そんな毎日のように繰り返した挨拶や言葉、握手やグータッチの中で、最後の最後に、初めての経験をしたので、ここで紹介して終わりたいと思います。
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最後に配属先を訪れた日。
髪の毛を編み込んで、セネガルの服を着て、同僚たちとこどもと一緒に写真を撮りました。
任期の終わりが近づき、近所の人たちや知り合いの人たち、配属先の同僚たちといった、セネガルでお世話になったセネガル人たちと最後の挨拶をすることがたくさんありました。
それらの挨拶の中で、ほとんどのセネガル人は「いつ戻ってくるんだ?(ニヤニヤ)」と尋ねてきたので、
「マンギニョン インシャーラー」と、僕もニヤニヤしながら返しました。
※意味は「神様が望んだら、また戻ってくるよ」みたいな感じです。
そんな最後の挨拶をして回る日々の中で、ある1人のセネガル人の彼と挨拶をした時。
彼は最後の挨拶と同時に、握手をする際に、左手を出してきました。
イスラム教徒(ムスリム)が多く住むセネガルで、彼もまたイスラム教徒(ムスリム)です。
イスラム教において、「左手は不浄のもの」とされているので、握手はもちろんですが、ご飯を食べる、何かモノを渡すとき、などなど、
必ずと言っていいほど右手を使うし、それがマナーの一つでもあります。
セネガルで過ごした2年の中で、ムスリムのセネガル人が左手を差し出してきたのを、僕は初めて経験、体験したと思います。
では、なぜ彼は、左手を差し出してきたのでしょうか?
僕自身も、彼が左手を差し出してくる、その瞬間まで忘れていましたが、
『セネガルでは、お別れの挨拶をする時に、左手で握手をする』
と、先輩隊員から教わりました。
※どの先輩から、どんな状況で伺ったのか覚えていませんが…。伺った先輩、すみません。笑
セネガル人の彼と、この2年何度も顔を合わせて、何度も挨拶や言葉を交わし、何度も右手で握手やグータッチをしましたが、初めて、お互いぎごちない左手での握手をした、あの瞬間。
当然のようにジョークを言って、ニヤニヤしながら「マンギニョン インシャーラー」と言うもんだと思っていたのに、
僕は、涙をこぼしながら「本当に帰るんだな」と実感し、「感謝だけ」を伝えました。
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余談も。
最後に配属先を訪れた日。この日は金曜日で、こどもたちの前で挨拶もしました。
配属先では、月曜日と金曜日に朝の会を行い、月曜日には国旗の掲揚と国歌斉唱を、金曜日には国旗の降納を行います。
こどもたちの前で挨拶をした後、セネガル国旗を降納する役割も初めて担当させてもらいました。
本来であれば、日本人の僕が、セネガルの国旗をフォーマルな場で触れること自体、憚られることです。
それにもかかわらず、それを許容してくれて、認めてくれて、「やってくれ」と促してくれて、彼らの誇りを託してくれたこと。
すごく嬉しかったです。
この2年の月日を振り返りながら、感謝だけを胸に秘めて、降納させてもらいました。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
最後に「感謝だけ」を、お伝えして、終わりにしたいと思います。
2年間、本当にありがとうございました。
2022年度4次隊 / セネガル共和国 / 障害児・者支援 / 篠宮 隼・Amadou DIOP KAH
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