JICA海外協力隊の世界日記

今日も Jamm Lekk !

# 32 任期を全うできること

こんにちは。篠宮です。

僕は今、セネガルの首都ダカール障害児・者支援の隊員として活動をしています。

まずはじめに、僕自身の活動任期も残り1週間を切りました。(※4月17日現在)

そのため、この「世界日記」も、今回の記事を入れて残り2回で終結しようと思っています。

いつも読んでくれている皆さん、ありがとうございます。

最後まで、よろしくお願いいたします。

それでは、今日の本題に移りたいと思います。

いきなりですが、『1,188人』。この数字は一体何を表していると思いますか?

正解は…

これまでセネガルに派遣された隊員と、いま現在、派遣中の隊員を合わせた人数です。【2024年9月30日現在】
※セネガル及び各国の派遣人数等の詳細はこちらを参照。
https://www.jica.go.jp/volunteer/outline/publication/results/jocv.html【JICA海外協力隊HP 事業実績/派遣実績】

さらに、今年2025年は、セネガルに隊員が派遣されてから45周年の節目にあたります。

この45年という年月の中で、多くの隊員さんたちが活動をしてきました。
そして今も、多くの隊員たちが、それぞれの任地で活動をしています。

その結果が、この『1,188人』という数字であり、これから先も増えてほしい数字でもあります。

反対に、もうこれ以上増えてほしくない数字もあります。

それは『6人』。セネガルでの協力隊活動中に亡くなった隊員の人数です。

セネガルに来る前の、派遣前訓練

僕たち2022年度4次隊は、1-3月の雪が降り積もる、極寒の中での訓練でした。

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僕たちの隊次が派遣前訓練を行った、長野県駒ヶ根市にある「駒ヶ根訓練所」の入り口。

その訓練中では、語学ももちろんですが、健康に関するオリエンテーション安全管理のオリエンテーションなども学びます。

そんな安全管理のオリエンテーションの中で、これまでの協力隊事業をはじめとした歴史の中で、残念ながら亡くなった事例、怪我などを負った事例についても学びました。

青年海外協力隊(JICA海外協力隊)事業が始まってから、今年は60周年の節目でもあります。
僕が訓練所にいた時は、まだ60周年を迎える前でしたが、「60人以上の方が事故や病気で亡くなっている」と伺いました。

また、以前は「青遺海の会」(あおいうみのかい)という遺族会の会長さんや副会長さんなどが、訓練生に向けてお話をする機会があったそうです。

JICA本部のある東京の市ヶ谷には「国際協力の碑」があり、毎年「慰霊式」が開催されています。https://www.jica.go.jp/information/press/2024/20241106_21.html ⇦ 2024年度慰霊式についての記事です。

僕はセネガルに到着してから、セネガルでも6人の隊員が亡くなられていることを知りました。

そして、セネガル事務所にある隊員ルーム(隊員同士が集まって談話したり、作業をする部屋)には、亡くなられた隊員についての資料が、いくつかあります。

また、亡くなられた隊員6人のうち、2人の慰霊碑ティエス(ダカールから車で1-2時間ほどの街で、亡くなられた隊員2人の任地)にあり、セネガル人たちの手によって管理されています。

セネガルに赴任した隊員は、赴任オリエンテーションの中で、その慰霊碑を訪れます。

僕も赴任したばかりの頃に、訪れたのを覚えています。

その慰霊碑に、先日(4月3日)再訪問してきました。

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自分の任期も終わりに差し掛かり、これまでの2年を振り返る機会が多くなりました。

僕自身、隊員活動もまとめに入り、自らの隊員活動についても振り返っています。

その中で「できたこと」よりも、「できなかったこと」の方が圧倒的に多いですし、正直、後悔もあります。

それでも、セネガルでの生活や活動を通して、本当にいろんなことがありましたが、
「任期を全うすること」、
無事に2年という「任期を全うできること」
は、自信を持って達成できたと思っています

そんな報告を、最後にしてきました。

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最後にもう一つ。

ティエスの慰霊碑を訪れた後、ティエスでの語学訓練中にホームステイでお世話になった家族に会いにいってきました。

いま現在、セネガルで活動している、僕以外の隊員はダカールにある語学学校で、現地語(ウォロフ語)の語学訓練を受けていますが、僕の隊次を含めた前の隊員たちは、ティエスにある語学学校現地語(ウォロフ語)の訓練を受けていました。

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当時の写真。語学学校の掲示板に「ようこそ」という意味のフランス語ウォロフ語と一緒に、「HAYATO SHINOMYAだったけど僕の名前も。笑

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当時の写真。メインの先生2人に、生徒は僕だけの贅沢すぎる環境で、ウォロフ語漬けの毎日でした。笑

そんな語学訓練の中で、僕は「Amadou DIOP KAH」というセネガル名をもらいました。

その過程については、以前の記事で書いているので省略します。
https://world-diary.jica.go.jp/shinomiyahayato/activity/_10_amadou_diop_kah.php

セネガルに到着したばかりの僕は、文字通り、右も左もわからぬまま、現地語(ウォロフ語)を学ぶ3週間を過ごしました。

幸いにも、先輩隊員さんたちがティエスに住んでいたこともあり、生活面の心配はなく、僕の歓迎会をティエスで開いてくれたりと、いろんな思い出がティエスにはあります。

そんな3週間のうちの、たったの1週間だけでしたが、僕はホームステイをさせていただきました。

実はこのホームステイ、コロナ禍以降、僕の前の隊次(2022-2と2022-3)は実施されていませんでしたが、僕の隊次から再開されました。

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僕を受け入れてくれた『KAH』(か)さんの家族。

慰霊碑を訪れた後、そのホームステイ先の家族に約2年ぶりに会い、お世話になったお礼を伝えることができました。

そして、
もうすぐ2年の任期を終えて、日本に帰ること、
セネガル(ダカール)での活動、
最近の出来事
などなど、いろんな話をして、一緒にご飯も食べました。

語学学校やホームステイを含めたティエスでの日々は、とても心に残っています。

帰国前に、ティエスでお世話になった人たちに挨拶ができて良かったです。

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次回が最後の世界日記の予定です。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは、またお会いしましょう。

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