2025/03/10 Mon
イベント 文化 生活
# 30 混じり、交わる


こんにちは。篠宮です。
僕は今、セネガルの首都ダカールで障害児・者支援の隊員として活動をしています。
イスラム教徒が多く住む、ここセネガルでは「ラマダン」が始まっています。
僕自身は、セネガルに来てから2度目になります。
街中の雰囲気や人々の様子、会話から、ついに「ラマダンが始まったなぁ」と感じています。
セネガルの現地語の一つであるウォロフ語で、
「ラマダン」は「koor,kooru」、「断食をする」は「woor」です。
ラマダン中は、普段の挨拶に加えて「断食をしているのか」なども話します。
そして、お互いに「Ramadan mubarak : ラマダン ムバラク」(「ラマダン おめでとう」)と言い合います。
※心遣いみたいな感じです。
↑
セネガルにあるスーパーの広告です。
ラマダン中は食料品などがセールとなり、一般的にも他の月と比べて消費が上がると言われています。
今日はそんな「ラマダン」について、聞いたことや調べたことを簡単にですが、ご紹介させていただきます。
※興味のある方はぜひ調べてみてください。
イスラム教の聖典である「コーラン」。
その「コーラン」は、イスラム教の人たち(イスラム教徒=ムスリム)の信仰の源であり、信条、規範でもあります。
「コーラン」には、その「信仰や信条、規範」を表す具体的な実践として、5つの行い(五行)が記されています。
☆五行
・「信仰の告白」:神(アッラー)を信じること、イスラム教徒であることを声に出すこと
・「礼拝」:一日5回のお祈りをすること(派によって、お祈りの回数は異なります)
・「喜捨」:貧しい人に分け与える、寄付をすること
・「断食」:ラマダン月に断食をすること
・「巡礼」:一生に一度は聖地(イスラム教徒にとっての聖地であるメッカ)に行く、巡礼すること
つまり、「ラマダン」は「コーラン」に示されている義務であり、ムスリムの方たちにとっては、その信仰や信条、規範を表す具体的な行動の一つです。
そして、僕は以前まで、「断食=ラマダン」と思っていましたが、違いました。
「ラマダン」とは、「イスラム暦(ヒジュラ暦)の9番目の月の名前」のことで、ラマダン月に断食を行います。
※「ラマダン」=「断食」の意味として使われることもあります。
では、この「ラマダン(月)」にどんなことを行うのか。
多くの人が知っているように、断食(日の出から日没まで)、つまり一切の飲食が禁じられています。
さらに、アラビア語で断食を表す「サウム」には「慎み避けること、欲を戒める」という意味があるそうです。
そのため、「ラマダン月」は断食だけでなく、喫煙や性的な営み、喧嘩なども禁止されています。


イスラム教徒が割合的には多く住むここセネガルですが、キリスト教徒もたくさん住んでいます。
そんなセネガルで、それぞれの文化が混じり合う、交わる瞬間をこれまで体験してきました。
今日はそんな瞬間も一つ、ご紹介させていただきます。
3月4日(火)、この日はキリスト教のお祭りである「Mardi Gras : マルディ グラ」でした。
マルディグラについては、僕も分からないことだらけなのでネットで調べたことを、ざっくりとまとめます。
※興味のある方は、ぜひ調べてみてください。
マルディグラの翌日(今年は3月5日)から復活祭(イースター:今年は4月20日)の前日までの40日間は四旬節と呼ばれ、イエス・キリストの受難と死を黙想し、復活にあずかるための回心の期間にあたるそうです。
そのため、その40日間は「お祈り」(懺悔、施し)と「断食」(節食:肉食、濃厚な料理などを避ける)をするそう。
※つまり、ラマダンも四旬節もどちらも毎年タイミングが変わる移動祝日(移動祝祭日)ですが、今年は重なっていて、セネガル人のほとんどが断食、節食をしていることになります。
そして、その40日間が始まる前日である「マルディグラ:Mardi Gras」(フランス語で、「脂、肥沃な火曜日」という意味)に、「肉やバター、砂糖などが使われた脂っこいご飯、ちょっとリッチなご飯を食べる」そうです。
パレードや仮面行列などが行われる場所もあるとか。
→キリスト教徒の同僚に尋ねてみたところ、「こどもたちがハロウィンみたいに仮装をする。」そうです。
そんな「マルディグラ」。
僕の配属先でもイベントがありました。
センターのこどもたちも仮装して、ピエロ?道化師たちさんが来てくれてパフォーマンスをしてくれました。
↓
いろんな文化や価値観、想いなどなど。それぞれが混じり、交わる。
そんな瞬間をセネガルで暮らす中で体験しています。
セネガルに来る前の僕、来たばかりの僕は「イスラム教」のことも、そして「キリスト教」のことも何にも知りませんでした。
今も分からないことだらけです。
はじめは「義務」とか「禁止」とか。「なんだか制限に溢れているなぁ」と思ったり。
なんでもない議論や会話の中で「それが宗教(文化、伝統)だから。」と言われたら「そっかぁ。」と納得するしかないし、でもなんかモヤモヤして。
それでもいろんなモノが混じり、交わるセネガルで暮らす日々で、そんな瞬間を消化していく中で、
ひょっとしたら「いろんなモノが混じり、交わる」ということは、「なんか心や頭がモヤモヤして、予防接種とかで身体に異物が入ってくる時に感じるような気持ち悪い感じがするモノ」なのかもと思うようになりました。
まだまだうまく消化できているのか、これが正しい表現なのかどうか、それも分かりません。
それでも、予防接種で身体に抗体ができるのと同じように「いろんなモノが混じり、交わる」ことは、自分にとって良いモノで、プラスであると僕は思っています。
これからも「混じり、交わる」経験、体験を積み重ねていきたいと思います。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは、またお会いしましょう。
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