JICA海外協力隊の世界日記

菅原洋子のミャンマー滞在日記

首都ネピードーへの赴任時表敬訪問

ネピドーは2006年からミャンマーの首都となった都市です。ご存知の方も多いと思いますが、その場所は当時の軍事政権が占いで決めたという噂で、何もないところに忽然と都市を作り、国家財政の無駄使いとも言われていたようです。しかし遷都を決めた政府の見解は明確であり(当然ですが)、その内容はネットで読むことができます。

JICAの専門家もボランティアも着任時には必ずネピドーへ表敬訪問をするのが習わしです。私も着任3日目に飛行機でネピドーに行きました。「何もない所に忽然と」いう表現だったので、勝手に砂漠の中か山奥かと思っていたのですが、どこまでも広がる畑の中にありました。ただただ区画された畑と点在する集落の中に10車線の高速道路とビルが建ち並び、お寺やホテルが並んでいるのですから日本の風景からは想像ができません。112日の乾期の始まったころに行ったのですが、ほとんど畑には緑はなく収穫が終わった時期で空気が澄みきっていました。しかし道路を走れば様々な花が咲き乱れ「風光明美」という言葉が似合います。ヤンゴンのカビに汚れたビルと、凸凹の道路と、どぶ川にうんざりしていた私は、空気が澄み、花が咲き乱れ、ほとんど通行人のいないこの都市が本当に美しいと思いました。整備された道路の両側にピンク、紫、白、黄などのブーゲンビリア、百日紅、ハイビスカス、夾竹桃、立葵、石楠花、エニシダ、ねむの花、山吹雪、タマリンド、白い十字の小さな花などが枝一面に咲き誇っているのです。(写真がうまく撮れず残念)

最初に行ったお寺で、熱心に拝んでいる老人に感心し私たちも保健省の偉い方に直接お会いできるようにお願いしました。それから国立博物館を見学しました。まだ全体の半分以下の完成ということですが、どの部屋もゆったりしています。これも博物館に置くものかと思ったのはミャンマーで行われた国際会議の時に各国首脳から送られたプレゼントが陳列されていたことです。日本からは確か日本人形と何かが陳列されていました。

どこのホテルも広い庭に面していて、ベランダからの景色がすてきだなと思いました。けれど夜には街頭も少なく、空いている店は全くありませんと言われると、住むのは厳しい所だと思いました。そんな中にも二階建てのスーパーマーケットがあり、日本食屋さんが1軒ありました。

午後一番で保健省に向かい表敬訪問をしました。ちょうど選挙前で省庁は忙しいということでしたが、幸いにも20分くらいの待ち時間でミィンハン局長と直接お話することができました。局長はミャンマーのリハビリテーションをぜひ発展させたいと語り、自分も脳卒中の患者さんを担当したことがありOTSTの必要性を強く感じているとお話しくださいました。落ち着いたやさしい眼差しの方だという印象を受けました。調整員の方も、このような時期に長官にお会いできて本当に運がいいと言ってくれました。待っている間に印象に残ったのは、家具調度品が一般庶民のものとほとんど変わりなく質素なものだったことです。ほんとうに為政者はネピドーに首都を移したいと考え必死だったのだなと思いました。各省庁がそれぞれの広い敷地を持っているので霞が関のようにちょっと歩いて、教育省から保健省へなどというわけにはいかずそれぞれでゲートがあります。

帰りには局長にお会いできたお礼をするために、シェダゴンパヤーと同じ作りで首都に建てたというウッパダサンティーパヤー(上の写真)にお参りしました。中に荘厳な仏像が安置されておりネピドーに行ったら必ず参拝するべきところと言われています。そしてその前では、神の使いと言われている白い像が飼われています。現在は観光客も行くことができますので、ミャンマー観光のひとつとしてネピドーにもぜひ足を延ばしてください。

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