JICA海外協力隊の世界日記

ミクロネシア日記「ことこと」

ポンペイの音色

輪になって、みんなが歌う。歌っている子どもも、教えている先生も、みんなうれしそう。やさしい音色が、教室にひびく。それが、風に乗って、だれかのもとへ。音にさそわれて、教室をのぞきこむ子どもたち。

この光景、わたしは一生忘れないと思いました。歌い終わって、みんなではくしゅ。もう、むねがいっぱいで、感動。

こういうしゅんかんを、つくりだして、いっしょに味わって、いっしょに笑う。それが、協力隊のだいごみなのだと思いました。

実はこの曲、女のJ先生がつくったオリジナルソング。教科で音楽は習うことはなくっても、音楽のセンスがぴか一なポンペイの人たち。先生や子どもたちの得意なこと、好きなことが活かされる場をつくれたらな。そんな願いで、今まで何度かしょうかいした放課後クラブの時間を使って、みんなで歌ったのでした。

ことのほったんは、去年のある日。自分のオフィスで、休けいしていたときのこと。

「ふぁー。」

とせのびをして天じょうを見上げると、目に入ってきたのは、あるもの。

・・・ん?もしかして・・・!?

いすからはね上がり、高いたなのてっぺんにあるあるものをじぃっと見つめました。

大きい長四角で、重くて、いろいろな音色が出るもの。

そうです、電子ピアノです。教材や教具が日本の学校のように十分そろっているわけではないポンペイの学校で、ましてや教科にない音楽の教材なんてあるわけがないと思っていました。でも、確かに、目の前にあるのは電子ピアノ。早速たなから引っ張り出してみると、ほこりをあまりかぶっていません。近くにいた先生に聞いてみると、

「去年のEducation Dayで、先生たちの出し物で歌ったときに買ったのさ。J先生がそのときピアノをひいたんだ。」

とのこと。それ以来、ピアノはここに眠ったままのようです。なるほど。これがあれば、また活動の幅が広がりそうじゃないか!ひとり心おどらせうきうきしていましたが、大変なことに気がつきました。電子ピアノは電気がないと動かないのに、ピアノとコンセントをつなぐアダプタがないのです。

「J先生に聞いてみたら?」とI先生に言われ、J先生のところに行ってみると、

「わたしは持ってないわ。教頭先生が持ってると思うわ。」と言われ、教頭先生のところに行ってみると、

「おれは知らないな。J先生が持っていると思うが。」と言われ、何のこっちゃとなりました。

あきらめが悪いわたしは、いろんな人に聞いて回り、ある情報を聞きつけました。どうやら、去年のEducation Dayの後、教育局のミュージックスペシャリストがアダプタを借りていって、そのまま返していないらしいという情報です。

わたしは、腹を立てました。「ミュージックスペシャリストというかたがきを持ちながら、学校の音楽のきかいをうばっているなんて、ひどいじゃないか。アダプタを借りたまま忘れちゃうなんて、うっかりさんにもほどがある!それにしても、なんでアダプタだけ借りていったんだろう・・・?」なぞは深まるばかり。意地でもアダプタを見つけたい気になっていたわたしは、教育局にれんらくするため、電話番号を聞きに教頭先生のもとへ。

「そんなにアダプタがほしいのか。よし、これが電話番号だ。」

番号を受け取り、その場を去ろうとすると、教頭先生がつぶやきました。

「いや、まてよ。教育局にちょくちょく出入りしている図書室の先生が何か知っているかも。」

そう言って、となりの図書室へ向かう教頭先生。あいにく、図書館の先生はいませんでした。でも、教頭先生が、つくえの引き出しを開け、がさごそ探すと・・・、

なんとそこに、ありました。アダプタが。

「ありがとう、ありがとう。」教頭先生にあくしゅをして、いちもくさんに自分のオフィスへ帰り、ピアノにつなげてみました。スイッチを入れると・・・、

ポロン、ポロンと、きれいな音が。ばんざいです。そばで見守っていたI先生も、でかしたぞ、とVサイン。ミュージックスペシャリストさん、ごめんなさい。ちゃんと返したのに、返してないと思われて、勝手に腹を立てられて、もうしわけなかったです。おわびに、ネッチ小学校に音楽の機会をつくることをちかいます。と心の中でちかい、何はともあれ、一けん落着。

すると、うわさを聞きつけたJ先生がやってきました。

「あゆみ、すごいじゃない!わたし、ずっとピアノひきたかったのよ。」

J先生のピアノが聴きたいとおねだりすると、J先生がえんそうしてくれました。

わたしは、それを見てびっくり。なぜなら、わたしの「ピアノがひける人」のイメージが、このときくつがえされたからです。

J先生は、確かにピアノをひいていました。がくふなしで、電子ピアノのばんそう曲を流しながら、それに合わせたメロディーを、自分でつくってひいていたのです。(しかも、一つの音だけでなく、ドとソや、ドミソなど、ハーモニーまでつくりながらメロディーをひいていました。)わたしは、ピアノがひける人というのは、がくふを見て、両手でポロポロとひける人だと思っていました。聞いてみると、楽ふは習った事がないから読めないそうです。小さいころ、小さなキーボードをもらい、父親の歌う声に合わせて、自分でキーボードを何度もひいて、自己流で覚えたと言っていました。

本当に、すごすぎる。J先生にかぎらず、ポンペイの人たちは、体に音楽がきざみこまれているという感じで、そのセンスにいつもおどろかされます。例えば、だれかが歌っていると、それに合わせたハーモニーを勝手につくってポンペイの人は歌えるんです。高音部とか低音部とかすでに習ったのかと思いきや、「いや、その場で聞いて合わせるんだよ。」とのこと。やっぱりすごすぎる。ダンスも、音楽をきくと、それに合わせたふりつけをてきとうに考えて、ノリノリでおどっているんです。小さな子どもからお年寄りまで。それがちゃんと様になっているからすごい。わたしがやっても、ふにゃふにゃダンスになるだけなのに。わたしには絶対にまねできないこのすばらしいポンペイ人の特技を、どうにか活かせないだろうか・・・。

そんな経緯があって、放課後クラブで、今回歌うことになったのでした。あくまでもこだわったのは、「ポンペイらしい音楽」。クラブでは、ちがう回で日本の歌もしょうかいしたのですが、このときは、J先生の作った曲。教えるのも、現地の先生にお願いしました。ピアノ担当のJ先生に加えて、歌が好きな男のO先生も指導に協力してくれました。

それにしても、学校の先生が作った曲を歌えるなんて、ネッチの子どもたちがうらやましいなぁと思いました。わたしが日本に帰っても、オリジナルソングをつくる才能がないので、やりたくてもできません。だから、これは、ポンペイならではのじゅ業。ポンペイだから、この先生たちだからできたじゅ業です。うれしい。本当にうれしい。子どもたちが帰ったあとに交わした、J先生とO先生とのハイタッチ。何だかぐっと気持ちが通じ合えた気がしました。

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