2025/02/13 Thu
活動
養蜂家(1)
ボランティアとしてパタテ市に2023年3月4日に到着してから最初の数か月は、いろいろな所に連れて行ってもらいました。コミュニティで開かれるフェスティバルやパタテの市場と隣町の市場、女性の日の集会、県の起業家養成機関、カフェを開いている観光農園などで、特に最初の一か月はその後の活動のきっかけの多くを得ることができたことに最近気が付きました。フェスティバルに行くと、アジア人を見かけない土地なので目立つこともあり、日本からわざわざやってきた来賓として接待されます。大きなステージでスピーチを求められたことがあり、農産物のマーケティングの専門家として紹介されたのですが、実際には畑違いの技術者なので、これからどうなるのかビクビクしながら挨拶したことを思い出します。
その時に顔を覚えられて、改めてお会いした方が何人かいます。フェスティバルの行われたコミュニティの役員だったWilliamさんはその中の一人で、着任して一か月が過ぎた日曜日にカウンターパート経由で電話がかかってきて昼食に招待されました。昼食(アルムエルソ)は、エクアドルでは一日のメインの食事になります。電話で5分後に事務所に車で迎えに行くと言われたのですが、朝、市場で初めて買ったグアナバナという大きな果物の皮をむいている最中だったので、慌てて出かけた覚えがあります。連れていかれた先は、ご自宅近くの義理のお父さんの家で、幾つかの建物が傾斜した敷地の奥の方に、通路でつながって建っていました。生い茂ったアボガドの木で日差しを遮られる中、建物の一つでおよそ15畳が二つつながったぐらいの広い部屋に案内されます。目が慣れてくると、薄暗さの中にかまどの煙で煤けた年季の入った台所と食堂がありました。5~6人の人が食事の準備をしています。皆さんに紹介してもらってから、食堂の大きなテーブルの隅に座りました。
建物は見た目ほど古くはなく60年前に建てられたそうで、その前はここに大きな農場があり、以前世界日記で紹介したアシエンダ(荘園住宅)になっていたそうです。1960年に法律が施行されて農地が小さく分割された時に、売却された一部を先代が買い取ってこれらの家を建てたようです。先ほど挨拶した女性のうち3人は、エクアドルの北西にある港町エスメラルダスからやって来た聖職者と学生二人で、パタテのバジリカでのお手伝いのために、ここに数週間泊まっているとのことでした。そのうちの一人はNAOMIという名前です。テニスプレーヤーの大阪なおみを思い浮かべたのですが、黒人系の丸顔の子でとても明るく、気後れなく誰とでも話しかけ、自分にも興味深そうにいろいろと聞いてきました。ウィキペディアによると、エスメラルダスはスペイン統治時代に逃げだした黒人達によって自治区が作られた歴史があるようです。エスメラルダスの人口の半分以上が黒人系で、エクアドル全体でみると黒人系は4.8%(90万人弱)を占めています。
まもなく家族と一緒に12名ぐらいで一つのテーブルを囲み食事をしました。料理は定食屋でよく出て来る鳥の煮込みで、別皿に盛られたアボガドと一緒に食べます。毎週末に他の町に散っている家族が集まるそうで、普段の食事の中に入れてもらった形です。この時、私の隣にこの家の兄弟で40歳半ばのMarioさんが座ったのですが、後で彼からBMXの練習を見に来ないかと誘われます。
ところでWiliamさんは、食事の後に、農園で作っているハチミツの養蜂部屋に案内してくれました。8畳二間ぐらいの部屋に、蜂の巣から蜜を分離するためのステンレス製の分離器があり、丁度蜜の収穫時期だったので、ハチミツを入れた瓶にラベルを貼って段ボールに詰めているところでした。彼が私を呼んだ目的は、異邦人の歓迎とともにハチミツの販売方法について何かアイデアを得ることでもあったようです。ハチミツの作業場を見学したあと、彼は周囲の畑に連れて行ってくれて、アボガドやパッションフルーツ、コーヒーや綿の栽培の様子、クイ(大きなモルモット)の飼育場や鱒を養殖する生け簀を見せてくれました。天候に左右される農業で大きなリスクを避けるために、多様な取り組みが求められているようです。パタテの農家のさまざまな活動と生活の一部を垣間見ることができた次第です。
ここを訪問した次の土曜日に、Marioさんが県庁所在地アンバトにあるBMXのコースに連れて行ってくれました。MarioさんはBMXのチームを運営していて、ここをホームとして練習しているようです。ところでMarioさんは農耕機械の販売代理店を経営していて、アンバトのお店には日本や中国、イタリアの製品が並んでいました。さてBMXとはオフロードのコースを走る自転車の競技です。今日は練習なので準備できた人からスタート台に並んで走っていました。合図とともに一斉に坂を下ってスピードを出した後、凸凹をジャンプしながらゴールを目指します。レースの参加者は小学生ぐらいから20歳未満の男女が中心で、年配の方が少し混ざっているようです。低学年以下の小さな子供には別のコースもありました。Marioさんの二人の娘さんも参加していて、一人は毎回上位に入って注目されていました。翌年2024年の秋にパタテ市で市民の功労賞の授与が行われた時には、どこかの大会で優秀な成績を収めたことで表彰されたほどです。レースをMarioさんの奥さんと見ていたのですが、Marioさんからやってみないかと言われ挑戦することにしました。サドルの無い自転車に少し慣れてきたらコースを走ってみるように言われ、後ろからついて来る娘さんに声を掛けてもらいながら、皆に見られている中でほぼ一周しました。怪我したらJICAの人に怒られそうだと心配しながら、それでも精いっぱいスピードを出したつもりですが、Marioさんが撮影してくれたビデオを見ると5~6歳児にも及ばない走りでした。
その後Marioさんとはアボガドの輸出など、幾つかのテーマで話をする機会があったのですが発展しませんでした。ところでWilliamさんにはとても親切にしていただいたので、ハチミツの販売に関して手伝えることが無いかと考えていました。瓶にラベルをぶらさげる案を提案したこともあります。昨年(2024年)4月に、パタテ市の製品をプロモーションするペルチャ・パタテーニャという販売企画が出てきたときにも、さっそく誘ってみたのですが、関心の対象にはならなかったようです。
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