JICA海外協力隊の世界日記

アンデスの田舎町から

アシエンダ・ガチャラ

アシエンダHaciendaとは、ウィキペディアなどによると、スペインのアンダルシア地方から発生した荘園住宅の様式です。普段は都会に暮らす大農園を持つ裕福な人達が、田舎で暮らす為の別荘建築として現れてきたようです。上流階級が田舎への郷愁を抱きながら社会的理想を描いたことが背景にあり、農園開発のなかでは家畜や農産物の加工場を伴うことがありました。一方で、権力と社会的な地位を表現する手段にもなったようです。この形はスペイン人がエクアドルなど新大陸に入植した後、先住民と土地を支配し管理する目的で、又人々にキリスト教やスペイン語などの文化的な教育を与えるための制度エンコミエンダEncomiendaとして導入されたものです。 Google Mapsを見ていると、都市から少し離れた所ですが各地にアシエンダの表示を見かけます。下の資料は、アシエンダ・ガチャラで掲示されていたものです。

さて、この冬休みに私の家族がエクアドルに来てくれることになり、一緒に首都キトの北側に位置するカヤンベやオタバロに旅行する計画を立てていました。このことをパタテ市役所の同僚に話していたところ、一人が思い出にふけるように“アシエンダ・ガチャラ・・・”とつぶやいていたのです。当初の計画ではパタテに皆を連れて来ようと思っていたのですが、短い日程の中で移動するのは無理そうなので、代わりの滞在先を探すことにしました。その時にうろ覚えだった名前から、どんな所なのか調べてみたのです。ホームページがすぐに見つかりましたが、安全性が低いサイトとの表示が出た為に開かずに、その他のサイトを検索しました。一見、他の数ある観光施設と変わらないような印象だったのですが、エクアドルで一番古い建物だとの記述にそそられ十分な確認ができないまま、8日間のエクアドル滞在のうちの一泊をここですることにしました。場所はキトの飛行場から北東へ直線距離で30kmぐらいで、カヤンベ市の近くです。

パンフレット(料金表)

https://drive.google.com/file/d/1VXe8-Dma9Lgmi9teOu8suMH_h2zaZGnt/view?usp=drive_link

再びウィキペディアからですが、アシエンダ・ガチャラは現在のオーナーのDiego Bonifaz氏が1993年に宿泊施設に改造したそうです。この宿舎に到着すると、小柄で高齢の紳士が親しげに挨拶してきました。どこから来たのかという質問に“日本です”と答えると、彼は“ここのオーナーです”と名乗って歓迎してくれました。その日は自分達の他におそらく2組ぐらいしか宿泊客がおらず、来客を待ち望んでいる様子でした。ここは宿泊客だけでなく、入場料3ドルで施設の見学を行っていて、多くはありませんが訪れる客を見かけました。乗馬もできて、木々に囲まれた農牧場など周辺を1時間10ドルで案内してくれます。

中庭を囲んだコの字型平屋の建物の中にレストランなどのサービス部門が入っていて、そこに客室に使われている棟がつながっています。廊下には、使い慣らされた馬具が整備して並べられ、壁にはこのような場所で定番の鹿の首のはく製が飾られていました。大きな居間や接客や待合室のような空間には、古い写真や文書が壁に掛けられ、かつて旅行の時に運んでいったと思われる可動式のクロセットのような大きな衣装ケース?が場所を得て置かれています。目に入る物がそれぞれ静かに何かを語っているようで、時間の重みが伝わってきました。

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受付で、大きな木札に部屋の名前が書かれた鍵を渡されました。各部屋には大きな暖炉があって、その奥に温室のような中庭に面した小部屋があり、荷物を置いたり着替えたりする場所になっています。中庭には宿泊施設に改築した時に加えられたものでしょうか、きれいに手入れされているプールがありましたが、やや場違いな感じがしました。宿泊の予約をしたときに、案内のパンフレットと一緒にレストランのメニューが送られてきたのですが、食事にも力を入れているようです。 スタッフが夕食をどうするのか聞きに来て、メニューを置いて行きました。ボリュームが分からず日本のレストランのように各自でスープとサラダとメインの料理を選んでしまったので、食べきれない量になってしまいました。しかし、かつて貴族の家庭が使っていたはずの食堂での晩餐?は、思い出になる体験でした。

日が暮れてきた時に各部屋にスタッフが薪を運んできて、暖炉に火をつけてくれました。自分達で薪をくべて足りなくなったらスタッフに追加してもらいます。パチパチという音を聞きながらベッドに入り、夜中に燃え尽きても温まった暖炉のおかげで朝まで冷気を感じませんでした。

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まだ建物の一部しか見ていなかったので、翌朝はすぐにカメラを持って部屋を出ました。中庭に開けたテラスに行くと、テーブルで昨日会ったオーナーが一人で朝食をとっていました。自宅がすぐ裏にあって、ここに食べに来ているようです。挨拶をすると話かけてきて、自分は日本に行ったことがあると言い、35年前に日本の基金で2か月間東京と大阪で研修を受けたそうです。最初に会ったときに親しげな表情をしていたのは、この為だったのでしょう。ここの建物はエクアドルで一番古いそうですねと言うと、丁度今いる中庭を囲ったコの字の部分が一番古いと教えてくれました。そして、しばらくうれしそうに建物の話を続けます。1647年~1819年の間、織物工場として使われていたそうで、小作開放などの時代があり、1893年にオーナーのおじいさんが買い取ったとのことでした。施設内には教会が二つあるとのことで、インディヘナの土着の宗教の影響のために、後から追加されたようです。一つはコの字型プランの端っこに位置していて、とても質素な形のまま残されています。もう一つはやや大きめでこれも敷地内にあって、伝統的な様式ですが100年前に建てられたものだそうです。しかし二つとも今は教会としては使われていません。現在、この施設はエクアドルの国家遺産に指定されているとのことです。おかげで日常的な管理は行き届いているようにみえますが、老築化が進んでいるので本格的な保存に向けた支援が必要だと感じました。キトからも近いので、観光資源としてももっと有効に活用されることを願っています。

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