2025/08/10 Sun
生活
【59】さよならエジプト、ただいま日本。


アッサラーム アライクム!
ついに、エジプトを去り、日本へと飛び立つ日がやって来ました。
不思議なもので、もう帰るんだという実感が湧かないものです。
これは、2年前のエジプトへ来る時も同じで、東京からいざ飛行機に乗るという時でさえ、私本当にエジプトへ行くの?なんて調子でした。
年が明けてからは、本当にノンストップで忙しく過ごしていたので、寂しいと思う間もなく。
帰国まで100日を切った11月頃の方が、帰る日を思って感傷に浸っていたくらいです。
エジプトでの最後の1週間を過ごした隊員ドミトリー。
同期隊員や後輩隊員と一緒にお喋りをしたり、ご飯を食べたり、荷造りに奮闘したり・・・賑やかで楽しい1週間でした。
2月9日。
後輩隊員に手伝ってもらいながら、荷物を車に積み込み、同期揃って空港へ出発。
涙が流れるなんてこともなく、笑顔で手を振りながら別れた記憶です。
空港に着いた後は、諸々の手続きをして、飛行機に乗り込みました。
出発は夜だったので、飛行機からカイロの夜景を見下ろしながら、エジプトの地を飛び立ちました。(カイロがいかに発展しているか、しみじみ感じるほどの煌びやかさ・・・)
2月10日。
1回のトランジットを挟んだ後、無事に日本へ帰って来ました。
同期6人で帰って来られたこと、それが何よりも嬉しい。(その思いはここには収まりきらないので、また次回にでも書くことにします)
みんなで、空港内のお寿司屋さんへ行き、帰国後最初の食事をしました。
あんなにテンションが上がって、美味しいと感じて、味を嚙みしめながらお寿司を食べたのは、初めてでした。
同じ店内にいたお客さんは、私達6人の様子を見て、不思議に思っただろうと思います。
その後、そのまま家に帰る人が3人、私を含め1泊する人(その日のうちに帰れないので)が3人。
宿泊組は、一旦ホテルに荷物を置き、コンビニへと向かいました。
これまた、初めてコンビニを見た人のような反応をしながら、ウキウキで買い物。(分かってはいたものの、おにぎり1個の価格の値上がりに驚愕・・・)
寒空の下、ほくほくの肉まんを食べながら、ホテルまでの道を歩きました。
(エジプトにも冬があり寒いですが、)この日本のかじかむような寒さに震えながら、でも心はあったかい気持ちでいっぱいでした。


翌日。ついに和歌山へ!
大阪まで一緒に戻ってきた隊員とも、ここでお別れです。
2年前にエジプトへ行く時にも、大阪から2人で一緒に東京へ向かいました。
2年前の出発から2年後の到着まで、最初から最後まで、ありがとう。
同じ関西組で、同じ小学校教育の職種、頼りにしまくっていました。
お互いの家族が迎えに来たので、私達もハグしてお別れです。(家族同士も2年ぶりの再会で、「無事でよかったですよね」「娘がお世話になりました」みたいなことを言い合っていた)
私の姿を見た時に、普段は感情をあまり表に出さない父が、手を挙げて「ここだよ!」みたいな合図を出してくれていたのが、とても印象に残っています。
心配なんてしていないように見せて、本当に気にかけてくれていたんだなと改めて思いました。
無事に帰ってくることができて、本当によかった!!
父が運転する車の助手席に私、後部座席の母という定位置につき、家まで帰りました。
2年ぶりの日本の景色を車窓から眺めながら感じたのは・・・静か!!車内も道もとにかく静か。
エンジン音が大きかったり、音楽が爆音で流れていたり、クラクションがあちらこちらで鳴っていたり、ついこの間まで当たり前だったものが、全く見当たりません。
研修で日本へ行き、帰って来たエジプト人の先生達に日本の感想を聞くと、「静かだった!」と全員が口を揃えて答えていたのが、納得です。
途中、うどん屋さんでご飯を食べて、スーパーで買い物をして帰りました。
本来何も特別なことはないけれど、2年ぶりに日本へ降り立った身からすると、感動ポイントだらけ!
UDONではなく本場のうどんがあること、メニューを解読する必要がないこと、店内のポスターなんかも全部読めること、静かな店内、丁寧な接客。
スーパーなんて、宝庫です。色んな種類の商品が、清潔かつ整えて陳列されています。
豚肉、納豆、豆腐、漬物、お惣菜などなど、エジプトではお目にかかれなかったり、首都にあるアジアンマーケットでしか手に入らなかったり、高価だったりする物が、平然な顔をして並んでいる訳です。
興奮しない理由はなく、歓声を上げたり写真を撮ったりしました。(母には、恥ずかしいからやめてと言われましたが、2年間で羞恥心というものがかなり薄れていたので、あまり気にすることもなく・・・)
帰国を知った友達から連絡が来て、たくさんの「おかえり」と「お疲れ様」を言ってもらいました。
その日の夜には、エジプトにいる間もずっと連絡を取っていた幼馴染が花束を持って、家まで会いに来てくれました。
エジプトの生活が結構好きで、帰りたくないなあと思っていました。
でも、こうして待ってくれていた人がいることを改めて感じて、帰って来られて本当によかったなと噛みしめるばかりでした。


しばらくは帰国の余韻に浸って・・・とはいかないのが、私の帰国後です。
2月10日に東京へ到着し、和歌山へ帰って来たのが11日。
そして、14日から働き始めました。
私は、小学校の教員をしていて、休職での協力隊参加でした。
帰国後に戻る場所がある上での参加だった訳です。
3学期残り1ヶ月ちょっとというタイミングでしたが、元いた学校に戻り、特別支援学級の担任として働きました。
復帰初日は金曜日で、この日はまだ時差ボケが残っていたけれど、その後の土日にこれでもかというほど寝たことで、無事に体を日本時刻に戻すことができました。(一安心)
復帰から1週間もしない間に参観日があり、え?どうしろと・・・?とは思いましたが、エジプトの話なんかをして切り抜けました。
なんとかなる!という気持ちが鍛えられたのは、エジプトでの日々のおかげです。感謝。
昨年度の3年生以上は、私のことを知っている子ども達だったので、色々と話しかけてくれました
「僕(私)のこと分かる?」と聞いてきてくれて、顔は分かるのに名前が思い出せない・・・ということが多々ありました。
名前を聞いたら、「そう!〇〇さんね!」と私も思い出し、「え!先生、僕(私)のこと、覚えてるん?」と子ども、「当たり前やん!覚えてるよ!(名前は忘れてたけど!)」と私。
この会話パターンを何度やったことか・・・!
私がいる時にはまだ入学していなかった1・2年生も、担任の先生が話をしてくれていたようで、「あ!田辺先生や!」と声をかけてくれました。
日本語で会話できること。
自分の言いたいことが言えて、相手の言っていることが分かって、細かなニュアンスも伝えられて、意味だけではなくてその場に合った言い方ができて・・・
とても素晴らしくて幸せなことだな、と心から感じる日々でもありました。
そして、意外な効果を発揮してくれていたものが、エジプトだより『アッサラーム アライクム』!!
2年間毎月、エジプトの文化や習慣、食べ物、観光地などを紹介するお便りを作り、学校へ送っていました。
(どうやって?と聞かれることがありますが、エジプトから学校へメールで送り、印刷して全校児童に配布してもらっていたということで、先生方の絶大なる協力のおかげです・・・!)
きっとすぐに机やランドセルの肥やしになる子どももいるよなあ・・・とは思いつつ、1人でも興味を持ってくれたらいいかなと思い、作り続けました。(私の顔を忘れないでね?という思いで、毎回顔写真はしっかり入れました)
言ってしまえば、ほぼ自己満足です。それなのに、意外と読んでくれていました。
お便りの内容について話してくれる子、私の気まぐれで紹介していたアラビア語を覚えてくれている子。
そして驚くべきは、お家の方が見てくれていた・・・!
参観日などで会うと、「お便り見てました!」「私もエジプト行ってみたいんよ。やっぱり、よかった?」と話しかけてきてくれる方が結構いました。
これは、嬉しい・・・!なんでもやってみるもんだな。
2年間日本を離れていたとは言え、それまで26年過ごした日本という場所はやはり過ごしやすい。
唯一?帰国後しばらく慣れなかったのは、コンビニ、スーパー、レストランなどあちらこちらでの自動精算機です。
レジ係の人にお金を渡そうとして、「いや、こちらの機械に入れてください・・・」と何度気まずそうに言われたか・・・
まるで、タイムスリップして過去からやって来た人のようでした。(まあ、過去からやって来たようなもんか!)
こうして、2年間エジプトで過ごした私は、日本の元いた場所での生活に戻っていきました。
SHARE