2024/12/17 Tue
人
【45】さようなら、ムスタファ校長先生。
アッサラーム アライクム!
今回はめずらしく、少ししんみりするようなお話。
ムスタファ校長先生が、他の学校へ行くことになりました。
9月末から新年度が始まり、1学期は1月末まで。
学期のど真ん中ですが、校長先生が代わり、既に新しい校長先生が働いています。
学期の途中で校長先生が代わるのは異例らしく、私も理由はよく分かりません。
いつものごとく、このことを知ったのはあまりにも突然のことでした。
ある火曜日、テープを使いたくて備品を管理している先生(日本でいうと用務員さん)に声をかけました。
無事にテープを受け取り、職員室に戻ろうとした時。
「ムスタファ校長先生が、他の学校へ行くって知ってる?」
・・・?え、何のこと・・・?
言われた言葉は分かるけれど、意味が分かりません。
もう一度言われたけど、やっぱりさっきと同じです。
「え!?なんで!?」
これ以外の言葉が見つからないし、急すぎて気持ちが追いつきません。
その後、どうか聞き間違いであってほしいと思いながら校長先生に聞きに行くと、
「そうなんだよ。今週の木曜日が最後だよ。」
夢じゃなかった・・・
こういうのを知るのはいつも私が最後で、先生達は既に知っていました。
(とは言っても、先生達もつい最近知ったっぽい)
メッセージ動画を作るということで、自分が持てる限りの最大限の感謝を伝えられるアラビア語をかき集め、動画を撮ってもらいました。
私は、ムスタファ校長先生が大好きでした。
私にとっては、2人目の校長先生です。
昨年の8月末からEJSクエスナ(エジプト日本学校・クエスナ校)へやって来て、昨年度1年と今年度2か月半ほど、一緒に過ごしました。
先生は、アスワン(エジプトの南にある地域)出身の方です。
EJSクエスナに来る前は、アスワンにあるEJSで働いていました。
「アスワンから新しい校長先生が来る!」となった時は、みんな「あんなに遠い所から!?」と言っていたくらいの場所です。
ムスタファ校長先生の印象は、『優しくて穏やか、でもどんどん改革していく!!』
いつもにこにこしていて、私にもよく話しかけてきてくれました。
ただ優しいだけではなく、「学校を良くしよう!」という思いの強い方で、アドバイスをすぐに受け入れ実践していく。
私が提案することにも、いつも耳を傾け、前向きに検討してくれていました。
先生のおかげで、EJSクエスナはどんどん良くなっていると私も感じていました。
一方で、アスワンから遠く離れた慣れない場所で働くのは、本当に大変だっただろうなとも思います。
それまでの校長先生とは違うことを提案したり、既にあったものを変えたりすることは、時に先生方やお家の人の反感を買うこともあったんじゃないかと思います。
私は、言葉を全部は理解できないけれど、なんだか不穏な空気を職員室内に感じたこともあります。
それでも、校長先生は自分の軸を大切にして、子どものため、先生のため、学校のために全力で取り組んだからこそ、最終日はみんなが別れを惜しみ、涙する人がたくさんいたんだと思います。
校長先生、勤務最終日の木曜日。(実際は次の週の3日間、新しい校長先生との引き継ぎのために学校には来ましたが)
毎朝の集会の前に、子どもと先生で花道を作り、校長先生をお出迎え。
その後、いつも通り学年ごとに並び、校長先生からの挨拶に耳を傾けました。
お家の方も何人か来ていて、お花と表彰のたてを渡し、熱い握手とハグ。
どれだけ校長先生が信頼されていたのか、それが一目瞭然の光景でした。
その後、またいつも通りに国歌を歌いました。
いつもよりも声が大きく、揃っているように聞こえたのは、きっと気のせいではなく、子ども達なりの感謝の表れだったと思っています。
あと2か月で帰国の私。
まさか、私よりも先に校長先生がクエスナを去るなんて、考えてもいませんでした。
校長先生は、またアスワンに戻るそうです。
私たちは寂しくてたまらないけれど、先生としては、故郷に帰ることができて少しほっとしているかもしれません。
校長先生は、日本語の「どういたしまして」という言葉を覚えてくれました。
私が「ありがとうございます」と言うと、いつも「どういたしまして」と返してくれていました。
引き継ぎも終えた、本当の最終日。
私は手紙とお箸(送別の品のつもり)を持って、最後のお別れと感謝を伝えに行きました。
校長先生に「ありがとう」と言われ、私が「どういたしまして」
ああ、いつもと言うことが逆転しちゃった。
私は、ムスタファ校長先生を本当に尊敬しています。
お世話になったな。大好きだったな。また会えるといいな。
ありがとうございました!(校長先生のどういたしまして!が、聞こえてきそうです)
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