JICA海外協力隊の世界日記

アツい暑いジブチ -理系坊主のブログ-

僕が震災から受けたもの

みなさん、こんにちは。

先日3月11日、

ジブチにおいて、東日本大震災の追悼式が行われました。

日本の技術協力によって施工された道路へと続く、

PLACE DE TOKYO」という名のロータリーで、

2011年の震災以降、毎年行われているものです。

この追悼式については、昨年も記事にしました。↓

http://world-diary.jica.go.jp/terumine/culture/post_7.php

僕の追悼式への思いについては、

昨年と同様の心持ですので、

そちらで代えさせていただきます。

そこで今回は、非常に僭越ですが、

僕が震災から受けたもの

について書こうと思います。

(いつも以上に私的なことを書きますので、

興味のない方はここでやめることをお薦めします。)

5年前の3月11日、

テレビで報道されていた、

押し寄せる津波赤く燃え上がる街流される家々

それらすべての信じ難い光景に

僕は息をのみ、絶句しました。

そして、しばらくの間、

恐怖・不安・絶望という負の感情を抱くとともに、

立ち止まって何もしていない自分

無事に平穏な日々を送れている自分

何の役にも誰の役にも立とうとしていない自分

そんな自分自身のどこかに、

やりきれない違和感を感じていました。

それから月日が流れた、2011年11月、

大学で東日本大震災についての講義を受けたことを皮切りに、

心に溜まっていた、

「役に立ちたい、できることをしたい」

という気持ちに火が着き、

被災地へボランティア活動をしに行きました。

被災地で僕が見たものは、

苦しみや悲しみから立ち上がろうと懸命に闘う被災者の方々

高い志や使命感を持って日本中から集まったボランティアの方々

そういった人たちの輝かしい姿でした。

そして、ボランティア活動をしながら、

「僕はずっと誰かの役に立ちたかった、

僕はボランティア活動がしたかった。」

という素直な気持ちが大きく見えるようになりました。

この被災地でのボランティア活動がキッカケとなって、

僕は「青年海外協力隊」への道を選択し、

現在、ボランティアとしてジブチに派遣されています。

今思い返すと、海外ボランティアにこだわらなくとも

ビジネスマンとして仕事をすることで

誰かの役に立つことはできたと思いますし、

何も持っていない自分が

文化も言葉も知らないところへ行って

誰かや何かの役に立てると考えていたことは

実に傲慢なことだと思います。

しかし、

青年海外協力隊」という、当時の僕の選択は

決して間違ってはいなかったと思っています。

見返りを求めない尽力の大切さ、

仏教でいう「布施」の心は

今も変わらず心の中にあるからです。

ジブチに来てから1年と8カ月。

つまらないことに悩むことも

しょうもないことをすることも

些細なことにとらわれることも

全て自分が選んだこと

全て自分で決めたことなのだと

ふんどしを締めて、残りの時間を過ごせたらと思います。

今回の記事でボランティアという言葉を多く使いましたし、

前々から書いてみたかったことですので、

次回は、

僕が考える理想のボランティア像

について書こうと思います。

私的なことばかりでしたのに、

最後まで読んでいただいて、

本当にありがとうございました。

では、またです!

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