JICA海外協力隊の世界日記

ルワンダ支局ルラミラ通信

第14号 26年前の1994年4月7日

http://kwibuka.rw/のホームページより

Muraho!(こんにちは)

4月7日。この日はルワンダ国民にとって、とても大切な日です。
1994年にルワンダ国内で、民族対立による大虐殺(ジェノサイド)があったことはご存知でしょうか?

ルワンダの民族は大虐殺の発生まで、ツチ族(比較的高身長といわれている)、フツ族(比較的低身長といわれている)、少数民族のトゥワ族に分けられていましたが、ベルギー植民地時代からの因縁もあり、これら民族間での虐殺が1994年4月から7月まで行われました。約3か月間で、当時の人口の10%にあたる80~100万人が殺されたと推定されています。

1994年以前から、フツ族とツチ族の民族対立による内戦は起きていましたが、1994年の4月6日に、当時のハビャリマナ大統領(フツ族)が乗っていた飛行機が何者かによって撃墜されたことが引き金となって、4月7日に大量殺りくが開始されたと言われています。フツ族の人とツチ族の人が結婚し家庭を持っていたケースも少なくなかったようですが、家族を守ろうとしたフツ族の人も標的となりました。
(現在は、フツ族・ツチ族と民族を区別することは禁止され、民族を尋ねることもタブー視されています。)

ルワンダでは、毎年4月、「kwibuka(ルワンダ語でrememberの意味。『当時の悲劇を忘れない・繰り返さない』の意味を込めて)」というスローガンが掲げられ、国内各地で追悼集会が開かれます。
今年は新型コロナウイルスの影響によって、大規模な追悼集会は控えられたようですが、テレビ、ラジオ、twitterで追悼に関するニュースは多く流されています。

2004年には国連によって、4月7日は『1994年のルワンダにおけるジェノサイドを考える国際デー(International Day of Reflection on the 1994 Rwanda Genocide)』と定められました。

昨年4月、配属先の許可を頂いて、任地のルラミラセクターで行われた追悼式典に参加させてもらいました。

全てルワンダ語で行われていたので、どのような話がされていたのか理解することはできませんでしたが、当時を経験した女性や男性が経験談を話しているようでした。

話す人、その話を聞く人、ともに当時をフラッシュバックしてしまう人が出ることに備えてか、医療関係者が後ろに控えていたことも印象に残っています。

日本は終戦から75年が経過しており、当時の経験者から話を聞ける機会はかなり少なくなっていますが、ルワンダはまだ26年前。追悼集会の日だけでなく、4月いっぱいは様々なメディアを通して『kwibuka』が常に発信されることから、「絶対に同じ過ちは繰り返さない」という強い意識を感じました。

ここで、ルワンダのジェノサイドに関連する映画や書籍を以下いくつかピックアップしてみました。
観てみようかな、読んでみようかな、と思って下さる方がいたら嬉しいです。

(映画)
『ホテル・ルワンダ』、『ルワンダの涙』、『愛の叫び~運命の100日~』
(書籍)
『生かされて。』、『ジェノサイドの丘』、『黒檀』

『生かされて。』は約3か月近く、トイレの個室に7~8人で隠れて奇跡的に生き延びた女性の手記です。壮絶な体験という言葉ではおさまらないほどに自分の想像を超えた状況が綴られていました。

『黒檀』は、著者がアフリカの様々な国を取材してまとめたルポです。そこそこ分厚い本で、ルワンダの章は一部ですが、「アフリカの色々な国を知ってみたい!」、「ゴールデンウィーク中にじっくり読書したい!」という方にはおすすめの本です。(私はいまだに読み途中です…。汗)

それでは。Murakoze!

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