2016/04/26 Tue
コラム 生活
アフリカデジタル社会の意外な真実
3月末、毎年恒例のApple社の新製品発表会が終わり、日本でもiPhoneSEが発売されましたね。
さて、マラウイでは全く騒がれなかったAppleの発表会ですが、意外にも都市部にはスマートフォンを持っている人が結構います。
その中で特に若者たちはデジタルネイティブと言っても良いくらいスマートフォンを使いこなしています。
いや、片時も手から離さず、会議中でも触ってしまう様子は日本人以上に憑りつかれていると言っても過言ではないかもしれません。
そして会議中ならまだしも、勉強会でプレゼンをしている最中のプレゼンターがメッセージを受信したらしいスマホを触りだした時は唖然としました。
ただスマホを触るということがそれほど失礼なこととはマラウイでは思われないらしく、私も仕事が暇な時にTwitterをボーっと見ていても、
「今、忙しい?いいかな?」みたいに聞かれるのです。
触っている内容としてはSNSやメッセージのやり取りと日本もマラウイも変わらないのですが、そのメッセージのやり取りが重要なことと認識されるみたいなのです。
家族や友達との会話を大事にするマラウイの特徴がスマホ使いにも表れているのでしょうか。
もちろんiPhoneなど高級スマホを持っている人は少ないのですが、NOKIA、Samsungなどの比較的安価なスマホは町の電気店で100~300$程度で売られており、同僚の一人はMicrosoftのスマートフォンを持っています。
日本ではiPhoneSEのような片手で収まるサイズが大画面シリーズより人気のようですが、マラウイで人気なのは圧倒的に大画面。
私が日本で2万円程度で買った5インチスマートフォンは外国人が持っているということも見た目の価値を上げるらしく、
売ってくれ!譲ってくれ!とりあえずくれ!と大人気です。
これは日本で安価で売られている大画面スマホを100$以下で買って200~300$でマラウイで売るというビジネスが出来るのでは、
と少しだけ本気で考えます。
そんなデジタルネイティブでスマホ、タブレット、パソコンと三種の神器を揃える同僚が休憩時間にタブレットからマラウイの音楽を流していたので「いいねー」と何気なく言ったところ
「じゃあこの曲あげるよ。」と言ってくれました。
MP3の音声データをファイルとして交換することを想像していた私は、
「じゃあ、またUSB持ってくるね。」と返しましたが
「スマホがあれば送れるよ。」とのこと。
何とBluetoothを使ってスマホ間通信をしたのです。
(*Bluetooth…デジタル機器間でケーブルを使わずにワイヤレスで接続し、音声やデータをやり取りできる規格)
一瞬で彼おすすめのマラウイミュージック十数曲が私のスマホに転送されました。
恐ろしやデジタルネイティブ!
またある日職場のパソコンで流されていた映画は「スポットライト」
今年のアカデミー賞受賞作ですよ。
日本での公開は2016年の4月ですよ。
映画館のないマラウイにいる方が日本にいるより早く見れるとは何ということか。
どう考えても違法ダウンロードでしょうが、インターネットやデバイスを使いこなしてこれだけ手軽に音楽や映画を楽しめるのがアフリカのデジタルネイティブたちであり、しかも英語が公用語の彼らは字幕を必要なく映画を見ることができます。
すごいなぁとは思うけど、う~ん、何か違和感。
まぁ著作権総無視という問題が一つ。
そしてコンテンツがこのように消費されるのがもったいない。
というのも日本も今はデジタル社会ですが、十数年前はアナログ時代を経験しており、映画や音楽などのコンテンツがもっと大事にされている時期がありました。
好きなアーティストのCDを発売日に買ってアルバムの全曲を聴きこんだり、歌詞カードを読み込んだり。
テレビ番組をリアルタイムで見るために月曜の夜7時は家に絶対帰ったり、開演前に並びこんで新作映画を見たり。
相応の対価を払って手に入れ愛着のあるコンテンツは思い出として個人の意識に強烈に残り、価値観を形成します。
また同じコンテンツを同時期に国民全体で楽しむことで社会現象は起きますし、世代ごとの一体感にも繋がります。
アナログ時代を経験せず、簡単にコンテンツが手に入ってしまう世界を経験すると、例え国が豊かになっても映画館を作ったり、CDを集めたりする文化になることはないでしょう。
世界最貧国と言われるマラウイでも着々と進むデジタル化。
インターネットやデバイスを使いこなし無料で様々なエンターテイメントを楽しんでいる彼らに感心しましたが、ただアナログ時代の「コンテンツを手に入れるための苦労や達成感」や「同時代に同じものを社会全体で共有する喜び」という記憶がないのはちょっともったいないなと思うのでした。
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