JICA海外協力隊の世界日記

セネガルにアミナタ置いてきた

「外国人」として生活すること

セネガルの小学校教育隊員、アミナタです!

もう半年以上前の出来事になりますが、時間が経った今、ようやくシェアしたいという気持ちになったことがあり書いています。

ある子どもとのエピソード

ある日の活動先からの帰り道、1人の児童が、恐らく多くの国で共通してとても失礼な意味を持つであろうジェスチャーを私へ向けてきました。この頃は自分の現地語のレベルがまだまだで、何か問題があっても自分の中に閉じこめようとしていました。この出来事の時もただ一言「それは失礼だよ」と伝え、それ以上特に何かをするつもりはありませんでした。しかし近くにいた別の児童が、このことは明日、先生や保護者に言うべきだと私に伝えてきました。面倒なことを避けたい気持ちから、そのアドバイスも受け流すつもりでいましたが…

翌朝、校長先生と朝の挨拶を交わしていると前日アドバイスをくれた児童がやって来て、起こったことを校長先生に伝えました。

「何で言わなかったの?」と校長先生。「小さいことは毎日あるし、その児童の名前や顔も覚えていないし…」と言ったら「でも、じゃないの!」と。「1回で終わらないかもしれないでしょう。それに子どもたちは他の先生を敬うのだから、それはあなたに対しても同じこと。」

その後、全教室を回って、外国人だからと失礼な態度を取ってはいけないこと、私が他の先生と同じように働いている人なのだということを児童へ丁寧に説明してくださいました。

その後、活動先の子どもたちから良くない言葉をかけられることはなくなりました。距離が開いたわけではなく、良い関係性を築けています。

自分ではどうしようもないことは周りの人に頼っていいんだ、面倒だからと差別的な発言や仕草を流してしまっていたのは自分の悪い癖だったかもしれない、など色々な気付きと反省がありました。

「外国人」であるわたし

ここからは子どもたちとのことだけではなく、広く現地の方々との関係についての話です。

もちろん、多くの現地の方がとても優しく、日本から来た私たち隊員を歓迎してくれています。その一方で、物珍しさからかこちらとしては嫌な気持ちになるような態度を取ってくる方もいます。任地へ来たばかりは、小さな嫌なことが重なり、外に出たくない期間もありました。

アジア人の見た目だからということでかけられる言葉があって、これについてSNSでも議論がなされているのをよく見ます。色んな考え方がありますが、私が最近思うのは「感じ方」も人それぞれだということ。言われる度に傷つくなあという人、最初は気にしていたけれど慣れれば大丈夫という人、最初から気にしていなくてスルーできる人…また、同じ言葉でもただ珍しくて興味を持っているだけなのか、それともマイナスな意味を含むのか、言い方や態度で分かったり分からなかったり、同じ場にいる人でも受け取り方が異なってしまったりということもあります。

任地で生活していて、現地の人と見た目が違う私はどうしても目立ちます。これはもうどうすることもできません。しかし、日々生活していく中で国籍ではなく名前で呼んでもらえるようになり、シンプルに人と人との関係が少しずつですができてきたのを感じています。直接関わっている人がその家族や周りの人に私のことを紹介してくれて、輪が広がっていくこともあります。ステレオタイプな考え方が少しでも減っていったらいいな、と思いながら今日も町を歩きます。そして、それを人に期待する分、自分自身の行動や言動も振り返りながら生活していきたいと思います。

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