2022/06/10 Fri
戦略
アラフォー隊員、インフルエンサーになる。
今年3月。
新型コロナに感染し、
自宅で療養していた私。
数日間ベッドに横たわりながら
思いをめぐらせた末の決断が
タイトルの言葉です。
「ベトナムでインフルエンサーになって、
担当する番組を広めるんだ!」
私が10代か20代なら、
はたまた何か映える要素があれば、
納得の決意表明だと思いますが、
残念なことに私は、
全く映えないアラフォーです。
病み上がりの中年から
謎の決意表明を聞かされた同僚は
「がんばって」と応援してくれましたが、
内心は「この人大丈夫かな?」と
思ったに違いありません。
しかし私は真剣でした。
インフルエンサー活動を始めて
1ヶ月あまり。
私のTikTokチャンネルは
フォロワーが12万人を超えました。
↑私のTikTokトップ画面(6月10日時点)
うまくいっている要因は
「偶然」としか言えませんが、
うまくいく確率を上げる作戦は
これでもかというくらい
トライアンドエラーを重ねました。
そこで今回はアラフォー協力隊員が
インフルエンサーを目指した経緯と
そこにつながる戦略をシェアします。
前の記事にも書いたとおり、
私や同僚スタッフは以前から
担当番組に関する記事を
各種SNSで発信していました。
番組の知名度を上げるという意味では、
一定の効果はあったかな?と思います。
しかし目標は知名度アップでなく、
視聴者を増やすことです。
番組の存在は知ってもらえても、
継続視聴につなげるのは至難の業。
なぜなら私たちが作る
「ジャパンリンク」という番組は、
ベトナムの国営局がお送りする
とっても真面目な情報番組だからです。
主な視聴ターゲットであるベトナムの若者に、
とっても真面目な情報番組を
気軽にかつ継続して見てもらうには
どうしたらいいだろう。
あれこれ考えて思いついた作戦が
「スタッフのファンを増やす」
というものでした。
まずは若者に興味をもってもらえる
コンテンツをつくり、
そこでスタッフのことを知ってもらえたら、
「この人が関わる番組なら毎週見よう!」
となって、
なんかうまくいきそうな気がする。
そういう作戦です。
初めは同僚スタッフによる
「踊ってみた」的な鉄板ネタから
始めようとしましたが、
なんせ同僚たちは忙しく、
締め切りに追われながら
毎週踊らせるのは忍びない。
ならば一番ひま時間の融通がきく私が
トライアンドエラーを重ね、
軌道に乗ってから同僚を巻き込もう。
こうして
「映えないアラフォー隊員、
インフルエンサーを目指す」
という奇策が誕生します。
しかし、
映えない中年が一人で踊っても
さみしさしか生まれません。
「私が提供できる価値」と
「若いベトナム人のニーズ」が
重なる部分を模索した結果、
「散歩しながらスマホで撮った動画を
1分にまとめて毎日TikTokに投稿」
という活動で勝負することにしました。
その名も「ハノイ1分旅」。
ベトナムでコロナがほぼ収束し、
観光誘客も再開していた5月1日、
動画投稿スタート。
↑ 記念すべき1本目の動画。
所属先(奥のビル)に通う道中で撮りました。
ちなみに1分動画の制作には
撮影・編集・ベトナム語訳などに
1本あたり約3時間かけているため、
プライベートの時間はほぼ全て
動画作りに捧げる生活になりました。
↑ 投稿6日目
初めは数十回しか再生されなかった動画も、
回数と試行錯誤を重ねるうちに
にょきにょきと芽が出始めます。
そして21日目。
私がブンチャーというつけ麺を
食べているだけの動画が
300万回再生を突破。
25日目。
サトウキビジュースを
飲んでいるだけの動画が
400万回再生を突破。
いつしか近所を歩くと
「TikTokの人ですよね?」と
声をかけられ始め・・・
投稿31日目、
ちょうど1ヶ月の節目に
フォロワー10万人を突破しました。
これでひとまず
「軌道に乗った」と考えた私は
同僚たちに協力を求め、
次のステージに入ります。
投稿40日目。
JICAボランティアの身分と所属先を
初めて明らかにし、
これまで一人でやっていた旅動画に加え、
担当番組や同僚たちの紹介を
いよいよ始めることにしました。
その初日が41日目。
この記事を書いている6月10日です。
番組の視聴回数はどう変わるのか?
インフルエンサー戦略は成功するのか?
ぜひリアルタイムで、
見届けていただければ幸いです!
【リンク】
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