JICA海外協力隊の世界日記

セルビア便り

Zdravo! ズドラヴォ

セルビア観光隊員の星野です。

朝の市場は、ネクタリンや桃が甘く香り、大きなスイカや果汁たっぷりのメロンがごろごろ並んでいます。

昼を過ぎると気温は一気に上がり、外は夜9時ごろまで明るい日が続きます。

さあ、夏本番です。


さて、今日は任地ロズニツァ市にあるトゥルシッチという村のはなしです。

前回お話したバニャ・コヴィリャチャとならび、こちらもロズニツァ市の観光スポットです。

市街地から車で10分ほど。うつくしい丘陵地帯を縫うように進みます。

窓の外には、もこもこのひつじや、びっくりするほど大きなぶたがのんびり草を食んでいたり、背の高いとうもろこし畑が斜面に広がっていたり。

そんな風景を見ていたら、緑豊かなトゥルシッチの村に到着します。

この村は、セルビアの言語、民俗学の大家であり、現在の10ディナール札の顔となっているヴク・ステファノヴィッチ・カラジッチ(Вук Стефановић Караџић/Vuk Stefanović Karadžić)が生まれた場所。セルビア人なら誰もが知る有名人です。

10ディナール.jpg
グリム童話に大きな影響を与えたとも言われる、ヴク・カラジッチ。Loznica foto Roza Sazdić 227.JPG 2.jpg

1787年に生まれたヴク・カラジッチは数多くの功績を残しました。なかでもそれまで、ほぼ口頭伝承であったセルビア語の表記や文法を整えたことは、現在までつながる大きな功績です。「話すように書き、書くように話す」をモットーに改定されたセルビア語は、一字一音で誰にでも読みやすい言語に生まれ変わりました。セルビア語学習者の私も、彼の功績にたくさん助けられています。

ヴク・カラジッチの生家。元来の建物はトルコ兵により何度も壊され、その度に建て直されたそう。最後はその土台しか残っていなかったものが、1900年代初頭に現在の形に再建されました。DSC03283-2.jpg

トゥルシッチは、ユーゴスラビア王国時代の1933年に、国内初となる屋外博物館として開かれました。ヴク・カラジッチの生家に加え、彼の生い立ちや功績を伝える資料館や当時の粉ひき小屋、木造の教会などがあり、19世紀当時の人々の暮らしを今に伝えます。

トゥルシッチの地図。移築されたり、近代に新しく建てられたりしたものも合わせて、35の建造物が点在します。木々に囲まれた小川に沿って遊歩道を歩くと、四季折々の美しさを楽しめます。tršić-mapa-engleski-str.-11.jpg
紅葉の美しい秋。紅葉.jpg

セルビア人にとってトゥルシッチは、学校の課外授業で訪れるお馴染みの場所のようです。

毎年5月には、学生向け、特に国外のディアスポラやボスニア国境沿いのスルプスカ共和国とよばれる地域に住む子供たちを招いての、文化継承キャンプが行われます。夏には芸術に特化したキャンプもあり、各国から学生が集まります。

そして9月には、セルビア国内最大、最古と言われる民族文化フェスティバル“Буков сабор/Vukov sabor ヴク集会”が催されます。1933年に始まり今年で92回目を迎えるこの集会はヴク・カラジッチの功績を称え、約1週間に渡って民族舞踊や民謡などのプログラムが披露されます。

集会の様子。SLX_6062.jpg
ヴク・カラジッチの生涯を振り返る演劇。フェスやカパと呼ばれる赤い帽子と、立派な口ひげが特徴のおじいさんです。Mirko Suka (2).jpg

ちなみに、配属先の観光局が主催するリラロフェスティバルでは、トゥルシッチも会場となり、人気のミュージシャンが熱いパフォーマンスを届けます。glorius-1861.jpg
リラロフェスティバルでの一幕。ヴク・カラジッチそっくりさん大会。これ皆さん、自前のひげなんです!glorius-1666.jpg

セルビアのルーツを今に伝え、老若男女に愛される緑豊かなトゥルシッチの話でした。

今日はここまで。

それでは、

Ćao!

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