2023/02/06 Mon
歴史
マラウイってどんな国?Part. 4
皆さんこんにちは!今回は、マラウイがイギリスの植民地となるまでの流れをざっくりとお話ししたいと思います。
紀元前の中央~東アフリカ
人類の起源は、ケニアだ!タンザニアだ!いや、エチオピアだ!…といった具合に、東アフリカ説が濃厚ですよね。実は1993年に、マラウイのカロンガという地域で、約250万年前の人類の顎骨が見つかっています(*1)。
この化石は「Homo rudolfensis」という種であるとされ、同種はヒト属の中で最も古い種であると言われています。現代人の直接の子孫であるかどうかは不明であり、そもそもヒト属かどうか自体怪しいそうです。
ケニアやタンザニア、ザンビア、マラウイ、ジンバブエ、ボツワナ、モザンビーク、南アフリカには、先史時代の人類が残したとされる壁画が残っており、現在でも現地に行けば実際に目にすることができます。サムネイルの写真はマラウイのデッザ県で撮影したものです。赤い絵がピグミーが遺したもので、白い絵はピグミーが滅んだあとに栄えたチェワ人(バンツー系民族)が赤い絵の上から描いたものだと考えられています。この絵の詳細はまた後日、お伝えいたします。
19世紀までの中央~東アフリカ、奴隷貿易
11世紀頃まで、アフリカ大陸東海岸沿いの地域とペルシャ湾の地域で貿易が盛んに行われ、この時にアラブ人がアフリカに移住しました。これに伴って、東アフリカにイスラム教が広まったとされています(*1, *2)。
ポルトガル人は16世紀初頭には既に現在のモザンビークに到達し、マラウイ南部~モザンビーク北部~ザンビア東部にまたがって存在していたマラヴィ王国からは象牙を、17世紀には現在のジンバブエに到達し金を、それぞれ取引により得ていました(*3)。
19世紀、オマーンのアラブ人がタンザニアのザンジバルに移り、奴隷貿易の主な拠点をザンジバルとし、奴隷の入手が困難となった西アフリカに加え、ザンビア東部、マラウイ、モザンビークが新たな奴隷の供給地となりました(*3)。ジンバブエの金の生産量が減っていき、ポルトガル人よりアラブ人による影響力が強くなったそうです。1839年には、1年間で40,000人を超える奴隷がザンジバルに送り出されたと言われています(*3)。
アラブの奴隷商人だったジュンベ氏は、1845年にマラウイのコタコタに移り住み、奴隷貿易の拠点を設置しました(*3)。以前お話しした探検家のリビングストン氏(当該記事はコチラ→https://world-diary.jica.go.jp/sakamotoryuya/culture/post.php)が、コタコタで2代目のジュンベたちと奴隷貿易をやめるように交渉した記録が残っています。
マラウイの人々は、奴隷商人の他に、ヤオ人(マラウイの民族についての記事はコチラ→https://world-diary.jica.go.jp/sakamotoryuya/cat2579/part_3.php)やンゴニ人からも蹂躙されていたそうです。ヤオ人はアラブ商人から武器を手に入れ、下請けのような形で奴隷狩りを行い、ンゴニ人はただ殺戮を繰り返しながら移動を繰り返していた、と伝えられています。
リビングストン氏の冒険を機に、イギリスの宣教師がマラウイで布教活動を始め、各地で教会が建設されました。そして19世紀後半、イギリスのキリスト宣教団が奴隷貿易廃止を説きました(*3)。それでもまだ抵抗し奴隷貿易を続けていた人々は、イギリス軍により処刑や追放の刑に処され、徐々に奴隷貿易が少なくなりました。そのようにしてイギリスはマラウイにおいて強い影響力を手に入れ、マラウイはイギリスの統治下となっていったのです。
マラウイも奴隷貿易の舞台となっていたこと、知っていただけたかと思います。
広大なアフリカにて、ヨーロッパ諸国の植民地による支配体制が強まるまでは、ポツリポツリと形成された国家間の国境はほとんどなく、民族集団は移動を繰り返していたであろうことが推測されます。
これによりマラウイ単独で歴史を振り返ることは難しく、アフリカ大陸をマクロで視ることとなりました。
他国の侵入がなければ、アフリカ大陸はどうなっていただろうなと考えるだけでも、娯楽の少ないマラウイで退屈しのぎになるんじゃね…⁉などとくだらないことを考えながら記事を執筆しておりました。
私の協力隊としての任期が残り半分を突入しました。今後とも、温かく見守っていただければ幸いです。
それでは、Tionana!
<参考資料>
*1(the Bradt Travel Guide, Malawi, edition 6, 2013)
*2(Newton K. M., 2020, The Shirazi Civilisation and its Impact on the East African Coast in: Utafiti Volume 14 Issue 2 (2019) (brill.com))
*3(マラウィを知るための45章【第2版】、2010)
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